「女だてらに」「男のくせに」
ジェンダーレスがうたわれて久しい現代に
「男として」
の冠言葉に違和感を覚える方も多いだろう。
だが、これが自身への評価ならどうなのか。
秋の連休。
子供を連れて近くの「有料釣り場」に行く。
東京から大三島に移住して十二年。
釣りより仕事を優先していたから、一度も釣りは大三島でしたことがない。
移住当初、誘われて一度、行ったが「嫌々」オーラを発していたのだろう。
二度と声はかけられなかった。
次回、誘われたら使おうとした断り文句も温存して十二年。
実は妻から頼まれて海面公園に行ったのが今回の真相。
私が連れて行かなければ店を休んで妻自身が、子供を連れて釣りをすると言い出したので
半ばしょうがなく、がその内訳。
堤防釣りをたしなむ上級者からは「暴利」と揶揄される有料釣り場だが
初心者の私にとっては竿も貸してくれ餌もあるからありがたい。
子供と二人で「四千五百円と聞いてありがたみは、「絶対に元を取ってやる!」とさもしい根性に変わったが。
サビキ釣りという五つほど付いた釣り糸の先にあるカゴにオキアミを入れて海面に沈めると
魚が食いついてくるというフィッシング・スタイル。
ところが、糸は絡まるし。オキアミはあっという間に海に溶けてなくなる。
大口を開けたジンベエザメに餌をやる勢いでオキアミは減っていく。
案の定、飽きた子供は集中力をなくして歩き回り時間は無為にすぎていく。
約二時間の釣果は「さより」一匹。
子供連れで気の毒とに思ったのか、海原に舌打ちを連打する私が場の空気を悪くさせたのか樹を使った周囲の釣り人達から、アジとサバをいただいた。
感謝と共に自分の未熟さを反省する。
思えば針とか糸とか苦手。
ギターの弦も滅多に張り替えしないし。
だが、その日の出来事に納得できず、往生際悪くホームセンターで「初心者用の釣りセット」を購入し
二十分ほど時間が空くと目の前の海で釣り糸を垂らす。
釣れない。
ある日、小魚を一匹釣ったが、食べるのも良心が痛むサイズで海に帰した。
子供と一緒に海に帰すと、なんだか徳を積んだ気分で来世に期待が持てる手応えを子供と共有できたほどだった。
別にタイやスズキ、ヒラメを釣りたいなんて思っちゃいない。
アジで良い。アジでいいんです。
アジを餌にスズキを釣ろうなんて分不相応な妄想は抱いちゃおりません。
小アジでいいんです。
だが、釣れない。
「棒ほど願って針ほど叶う」ことすら私には許されない。
オキアミを海に溶かすのにも嫌気がさしてホームセンターで「疑似餌」釣りのセットを買って
さっそく試してみる。
この「疑似餌」見た目はイソメだが香りはブルーベリーという虫が苦手な人向けに開発されたものだ。
たしかにイソメだが漂う香りはブルーベリー。
視覚と嗅覚が乖離して混乱を覚える。
中学生の頃、近くに「荒川」がありゴカイを捕まえてハゼを釣ったりしたが
大人になるにつれて、あの手の生物を触りたい気持ちは失せた。
ちなみに疑似餌に変えても釣果はゼロ。
時間帯や潮目などコツがあるのだろうが、そもそも二十分ほどの釣りで酒の肴をゲットしようとする性根が間違っているのだろう。
ひとつ確信したのは無人島で暮らすパートナーを選ぶなら私は自分を真っ先に除外する。
しかしなぜブルーベリー?
今ではブルーベリーを見るとイソメを連想するようになった。
困ったものだ。