九月六日現在、大型で非常に強い台風10号は九州の南の海上を北上している。

瀬戸内海の大三島では台風に伴って雨雲が発生するもすぐに移動し

路面を濡らす程度で、猛暑で弱った柑橘の樹勢を回復させるほどの雨量には足りない。

二日と空けずにかん水作業に努めているが

ライムやレモンの園地に併設された水溜も底が見えてきた。

まとまった雨が欲しい。

記録的でもなく災害級でもない普通の雨が欲しい。

水やりが困難な園地では枯死寸前のレモンの樹もある。

台風で被害が出ない様祈りつつ、雨も欲するのは強欲だろうか。

 

死を間近に感じたのは果樹だけではない。

隣の島のビーチに子供を連れて遊びに行った。

海上に浮かぶエアの滑り台まで子供を引っ張り泳ぎ着いた。

滑り台で子供が遊び、さて岸に帰ろうとした。

足の届かない距離が意外に長く、心配になったが行きは大丈夫だったから、平気じゃないか?

と岸を目指すことにした。

私はスキューバダイビングのレスキューの資格があり

子供も二年間、毎週島の水泳教室に通っている。

いける。

その判断が甘かった。

私がレスキューの上のインストラクターを目指しプールで泳いでいたのは二十年前。

その日、思い知ったが子供もプールの後の温泉がメインで水泳技術の向上はまったくなかった。

過信と誤算。

泳ぎ出してすぐに子供が全力で私の首にしがみつく。

柔道の絞め技のように私は背後からロックされる。

足の届かない海面で振りほどくわけにもいかず、かといってこのまま岸まで泳ぐのは無理だ。

まだ、動けるうちに私は傍を漂う十代のカップルに

「助けてください!」

と声をかけ、返事をもらう前に彼らの浮き輪に子供を掴ませた。

私も浮き輪に手をかけると、ありがたいことに浮き輪のヒモを引っ張り

私達を岸までエスコートしてくれた。

息も絶え絶え、礼を言うなり岸辺に座り込み、しばらくその場から動けなかった。

「大げさなんだよ、おっさん」

「子供の前だからって無理してんじゃないよ」

そんな罵詈雑言も素直に受け入れるほどに心身は疲れ果てていたが

彼らは無事を確認すると無言で私達親子の元を去っていった。

天使とは無愛想なものかもしれない。

 

この日を教訓に親子でライフジャケットを購入した。

着用すると安心感がまるで違う。

海川遊びにはこりゃ、必須なアイテムだと痛感するほど便利なものだ。なぜ今まで気づかなかった?

シュノーケルもつけて海面を漂う。

身体の力を抜き海底を見つめる。

4Kだか8Kの高画質テレビのデモ映像のような美しさに見とれていると

土左衛門と勘違いしたのか小魚が私の身体を軽くつついてくる。

スキューバダイビングは好きだったが、この浮遊感が好きだったことを思い出す。

海中のスポットをせわしなく巡り、その岩場に住み着く「ウツボ」や「ネコザメ」に名前を付けるノリは私には合わなかった。

 

すぐ目の前に海はあっても砂浜は歩きづらいし、海水はベタベタするし海で遊ぶ暇があれば仕事してたが

夏の終わりも近づいた頃になって、ライフジャケットのおかげで大三島の海を満喫できた。

移住以来初めてだ。

子供もライフジャケットを着用することで余裕ができたのか、それなりに泳いでいる。

海底を見つめる私の背中に息子が乗ってくるのは、イルカに乗って遊んだ楽しい記憶を私の背中で再現したかったらしいが

ライフジャケットを着けた今なら息子の想いも受止められる。

 

今朝もホースでかん水作業を行ったが、夕方の今、雨が本格的に降ってきた。

ここ数日、予報は雨でも空振りばかりだった天気予報が今日はあたりそうだ。

雨が降るのだったら、朝のかん水作業が無駄だったとは思わない。

人生は過信と誤算に加えて「皮肉」に満ちていることを知っているからだ。