「子供叱るな。自分が来た道。年寄り笑うな。自分が行く道」

そんな教訓めいた言葉がある。

 

先日、ひょんな場所で他の島で農業を営む、Iターンの先輩と会った。

移住年数では彼が数年先輩だが年齢は私よりも若い。

 

体育系の私は年下の彼でも、敬う意味もあり敬語で礼を尽くす態度で接していたが

数年前のある出来事から彼に敬語を使うことをやめた。

打ち解けて距離が縮まったわけではない。

 

詳しくは省くが、彼に失望する出来事があったからだ。

私は雨降って地固まるタイプではない。

ゆえに不満があっても表面張力いっぱいまで我慢するが一線を越えられると

瓦解し修復できたためしがない。

 

ああ。その通り。

私の心は狭いです。

おかげでコックピットのように手を伸ばせば

大抵の感情はコントロールできる機能美にも長けている。

豪放磊落とは正反対の、石橋を叩きヒビを確認してそっと歩みを進める人生だ。

その割にイージーミスが多いのもご愛敬。

 

彼との邂逅に咲く昔話の花芽は少ない。

互いの近況を報告のような形で語り合う。

その会話で彼が相変わらずの「マウント体質」でほっとした。

彼は上昇志向を体現したような男だ。

施設や設備にどれだけ投資して生産量が莫大で取引先は名前は出せないが大手だ、などなど。

 

以前の彼は小鼻を広げて捲くし立てていたが、今は淡々と話す方が説得力を増すと

学習したのか、終始静かなトーンだった。

話半分で聞き流すが、やはりコロナの影響は深刻なようだ。

私が

「こんな時でも、今までの常連のお客様が注文してくれ支えてくれている」

という言葉に、何も答えずただ、深く何度も頷いた。

 

壮言大語だけで十年以上、農業で生活できていたわけではない。

彼も真正直に農業に取引先にお客様に向かい合ってきた軌跡を思い出しているようだった。

 

幸い、醜いマウント合戦の泥試合にはならずに、互いの子供など話し合いその場は別れた。

そしてふと考えた。

「彼の姿は私が行く道なのか、それとも来た道なのか」と。

思い返せば、私も似たような態度で他者に接した恥ずかしい過去もある。

 

今でこそ「数」や「権威」とは離れた場所で、モノ作りに専念したい、なんて悠長なことを

言っているが、コロナの影響が長引き状況がさらに混迷した時に、同じセリフを口にしたら

「お前の脳内はお花畑か!」

誰よりも激しく自分に突っ込むだろう。

 

もしかしたら、彼とはたどり着く目的地は

変わらない、同じ車道の違う車線を走る自身の姿なのかもしれない。

 

人間関係は修復しないが、みかん畑に続く道は二年ぶりに修復の目途がついた。

2018年の集中豪雨により道路が陥没し、遠回りを余儀なくしていたが間もなく通行可能になる.。

写真の縦横が見づらく申し訳ありません