「あの馬鹿野郎。再来月には孫が生まれるっつぅのに」

リモーネの傍らで会った近所の農家の方が苦々しげな顔で私に吐き捨てた。

その言葉に反応してつい

「自殺ですか」

と返してしまった。

「馬鹿野郎」と呼ばれた方と数日前に車ですれ違い、目礼していたから

病死でも事故死でもなく自死のイメージが浮かんだだけだったが

農家の方は気に止めることなく

「おう。首吊って死んだがよ」

頷きながらため息をついた。

 

「馬鹿野郎」は私の一回り上の六十代前半の男性。

ふわりと分けた髪に白いモノが目立ってきたが頑健な体躯は

初見と変わらず、精力的な印象のままだった。

花粉症なのか年の半分はマスクをしたままだから表情は読めない。

それでもマスクの上に鎮座する彫刻刀で彫ったような細い目は研ぎ光り

威圧するには充分な力はあった。

ガキ大将として地元では著名人だったと聞き、納得したことがある。

 

ただ彼との会話は数えるほどしかなく私にかける言葉は少なかった。

「饒舌」と評された彼からしてみれば、私ごときは言葉をかける対象ではなく

眼力で足りていたのだろう。

 

若いときから地域の権威の剣に魅了され、おのれの器に相応しい座に挑み

ある時は時期尚早で見送られるも次第に手中に治めながら今まで地位を築いてきた。

 

色々な噂はあった。

 

横領やら使途不明金やら利益供与やら。きな臭い噂だ。

様々な会の役員を勤め、その報酬だけでもそれなりの月額になっていた。

小さな権威に憑りつかれ、小さなコミュニティで暴君の喉を潤し溺れるには

充分な美酒だったろう。

 

一方で役員に相応しい働きを認めない周囲の声は多数、新参者の私の耳にも入ってきた。

 

最近になり、上記の不正を追及され、ついにすべての役員の座から降ろされた、という噂も聞いた。

 

小さな権力を手に階段を昇って行くにつれ、壮年になった「馬鹿野郎」は

かつての支援者に対しても、ぞんざいかつ傲慢な振る舞いを隠さなくなった。

目に余る行動をいさめた支援者の一人は

「逆に恫喝されたわい」

肩をそびやかした。

 

役員の立場を利用して助成金を取得して得た会の収益を個人の懐に入れたことは

私も知っていた。

「よくある話だ」

新参者の私は鼻で笑ってやり過ごしたが、どうやら気持ちって奴をおさめられない

人が地域には多くいたようだ。

新参者と地縁者との縁の深さの差だろう、と推測する。

 

彼は「馬鹿野郎」だったのか。

自身の思いつめに家族を付き合わせ「無理心中」を選ぶ人もいる。

死ぬくらいなら責任を放棄して逃げればいいのに。

文化人が好んで使う「積極的逃避」ってやつじゃないのか。

「失踪」こそよくある話だ。

あるいは権力者だった自分のこの先に待つ

汚泥にまみれた晩節に身を浸すことはプライドが許さなかったのか。

 

私は彼に寄り添ってみる。

 

すべての疑惑を背負い一切の責任を死をもって償い無かったことにしたかったのか。

自分一人の命で落とし前をつけた決意を他人が口を挟む資格はない。

英雄的な死と称賛しないけど、誰も巻き添えにしなかっただけ、あなたは立派だった。

身内もそう納得したのではないか。

 

死んだ後に 遺族や周りにも追及や非難糾弾が及ぶことにも

考えが至らないほど追い詰められていたのだろう。

「あいつはうつ病だった」

そう述懐する人の口調は突き放したトーンだった。

 

「ま、自業自得や」

農家の方は一人納得するようにつぶやき最後に

「ああいう死に方は後々、周りに悪い念を残すんで」

私を見据え、言い含めると去っていった。

 

私は去りゆく農家の方の反対方向にある「馬鹿野郎」の

自宅の方角に手を合わせた。

 

数日後、近くのモータースの方が亡くなった。

移住以来、すっとお世話になった方だ。

まだ四十代で末の子供は小学生だ。

数年前から急激に痩せたが整備場で汗だくで作業する姿からは

疾患を抱えているように見えなかった。

病気かも? と心配しモータースの近所の方に訊ねたが

箝口令がひかれていたのか、判然としなかった。

 

家族を残し病に倒れたモータースの方の胸中を思うといたたまれない。

死ぬまで家族や仕事に向き合った真摯な姿に身が引き締まり葬儀場で何度も手を合わせた。

 

自ら死を選ぶ者の対照に、惜しまれつつも自らの意思と関係なく、この世界から旅立ってしまう人もいる。

電子マネーのように「いらない人から欲しい人に」

寿命をチャージできればいいのに。

不謹慎を承知でそんな思いがよぎった。

一週間に満たない間に二人の方が亡くなり、その最期のコントラストに

不条理を覚えてしまった。

 

相変わらずの自粛生活だが

緊急事態宣言が出される以前から

すでに他人との交流八割減を実施し

精神的ソーシャルディスタンスを保っている自分の生活に特に変化はない。

しいて言えば畑を手伝ってくれる方との濃厚ならぬ農耕接触位しか他人と交わる機会がない。

小学校も休校なので子供の自転車トレーニングを港で行う。

 

自転車で一番大切なことは、安全に注意すること。

それが理解できない内は別に自転車に乗れなくても構わない。

そう考えていたが、妻からの圧力に屈した形で私がトレーニングした。

自転車はすぐに乗れるようにはなったが、案の定

奇声を発しながら爆走し急ブレーキでコーナーを攻めたりするようになった。

典型的なハンドルを握ると人格が変わるタイプだ。

大きな怪我をする前に痛い目に遭い学習するしかないのかな。