十五年ほど前に東京にいた頃、『中心性網脈絡性』という目の病気にかかった。

中心が歪んで見える病気で働き盛りの男性に多くみられる病気だそうだ。

当時の上司に原因は「ストレス」だと医者の見解を説明したが一笑に付されて終わった。

 

時期をずらして両目を罹患した私は後遺症としていまだに視界が微妙に歪んで映る。

特に最近、左目の歪みがひどくなった。

この『中心性~』を患った場合、年齢を重ねると失明につながる『加齢黄斑変性』に

移行するケースがあるので、夏も終わりに近づいた頃、今治の専門の眼科を受診した。

 

結果は歪んで見える左目の方は後遺症で歪んで見えるだけで症状は落ち着いている。

逆にピントを合わせていた右目の網脈膜より出血していることが検査で分かった。

 

医者からは抗VEGFという薬剤を白目の部分に注射する治療を勧められた。

麻酔はするし注射針も細く痛みはほとんどない、と説明されるが私の脳裏に

ゾンビ映画「サンゲリア」のワンシーンが鮮烈に蘇り拒否反応を起こす。

治療当日は同じ病気の患者を処置室に集めて、腕が良いと評判の院長先生自ら一同を一気に処置するそうだ。

別室で説明DVDを見せられて

「まぁやってみてもいいかな」

と軟化した。もっとも私の年齢だと三割負担ゆえ高額になり最低限の回数の三回しか注射できない。

処置当日、八人が処置室に案内された。私は最後から二番目。

もちろん最年少。

処置室の中にさらに小部屋がありそこで施術が行われる。

一人ずつ小部屋に入り数分後、看護師に付き添われ退室するのを横目に誰も私語を発さない。

不織布のキャップを装着し、私服の上からガウンの患者義衣を羽織るとさらに緊張感が高まる。

室内には先ほどからとってつけたようにリラックス効果を狙って

オルゴールで「宙船」「世界にひとつだけの花」の音色が流れているが緊張は高まる一方。

不安がピークに達した時にアドレナリンが体内から噴出し居直りに成功した。

 

私の番になり、いざ小部屋に入ると処置室の回りに前の患者さんのガーゼが生々しく散乱するのを見て怯んだが

ためらう暇もなく身体を固定されて目を開ける器具をセットされ治療が始まる。

 

白目の部分に注射するので目は閉じることができない。

網膜剥離を患い手術した辰吉丈一郎の言葉を思い出す。

「目ん中にナイフが入ってくる恐怖に比べたらパンチなんか屁でもない」

灯りが制限された小部屋では針が入ってくるのは見えなかったが白目に針が刺さる感覚があった。

「もっと目を開けてください」

冷静な口調で院長先生が言う。

薬剤が眼球に注入されたのが分かった。

調和の破綻した幾何学模様にサイケデリックな色彩が眼前を覆ったのだ。

ふと友人の話が頭によぎった。

 

友人が二十代の頃、ある夏の日。会社の同僚何人かで海で遊んでいる時。

胸元位の浅瀬だが急に足がつり友人は溺れた。

パニックになり必死でもがくが友人は沈んでしまった。

溺れた海中から夏の陽射しを通して空が見えた。

その空の色が極彩色に富んでおり友人は

「ああ。こうやって人は死ぬんだな」

この世離れした美しい景色に魅入ると同時に友人は死を受け入れた。

友人はそこで記憶を失くした。

異変に気付いた同僚たちによって友人は救助され浜辺で適切な措置をうけ事なきをえた。

友人はいまでも海中から見上げたあのけばけばしい空の美しさを思い出すという。

 

私も術後、治療時に見えたあの景色を思い出す。

そして「はやくもう一度観たい」と欲するまでになった。

まるでゲーム感覚で臨死体験をエスカレートさせていく医大生を描いた

サスペンス映画「フラットライナーズ」のようだ。

 

一回、数万する治療のお蔭か右目の予後もいい、と思い込んでいる。

あと二回の治療を終えた頃、鏡の中、私はケビン・ベーコンに。妻はジュリア・ロバーツに見えるだろう。

もし、見えたらいよいよパンチドランカーも重症化したと思われるか、違法薬物摂取を疑われるから黙っておこう。

 

ちなみに東京にいた頃に事業としてゾンビをモチーフにホルモン料理を提供する

『ゾルモン焼き』開店を目指していたこともあったが、そんな与太話はまたの機会に。

 

*九月から開始した注射治療も十一月をもって一旦終了。飛躍的に良くなるというよりも、

これ以上、悪化しないための処置なので鏡の中の

私は私。妻は妻のままだった。

 数回の治療で「眼疾友達」(といっても年上だが)も生まれお店に来てくれたりもした。

中々強烈な個性の方とも知り合えたエピソードもいつか紹介したい。