柴田先生のご逝去に伴い、特別番組として放送された「琥珀色の雨にぬれて」(84年花組)を見ました。

 

この作品は、セリフとセリフとの間にみなぎる緊張感が、脚本から感じられるところが大好きな作品です。

初演の放送を見ると、冒頭のシーンから、クロードとマオの緊張感あふれるやり取りが繰り広げられ、「これが見たかった琥珀!」といきなり感動。

そして登場したシャロンは、まさに妄想どおりのシャロン!

気ままに生きている様子は、ルイのいう「取り巻き連中に囲まれて女王のようにふるまっている」そのものなのに、たまに見せる少女のような表情や振る舞いが、クロードのいう「純粋無垢」そのもの。

しかも演じているような感じがしないんです。

頑張って役作りして演じています、というのではなく、若葉ひろみさんって普段からこういう方なんじゃないか?と思わせるような自然さ。←ほめています!

 

もう一人のヒロイン(だと思う!)、フランソワーズ。

再演を見るたびに印象が違った役で、すごく難しい役なんだと思いました。

初演のフランソワーズは、芯の通ったお嬢さん。

この人ならば、エヴァからの伝言を聞いてクロードが青列車でニースに行くことを予想しただろうし、パリからニースまで一昼夜車を走らせる行動力もあるだろうことを納得。

オリエント急行の特別待合室でのフランソワーズも、崩れそうなのに凛としたところもある。

 

このオリエント急行の特別待合室のシーンは、この物語の大きな見せ場の一つで、二人の女性とクロードが一堂に会する場面です。

このシーンで、クロードに「なんといって出てきたのか」を訪ねるまでのシャロンは、常日頃仮面の下に隠している本当の表情を見せているようで、とても可愛らしいんですよね。

ちなみにクロードの回答は「何も言わずに出てきた」「今は君と一緒にいたい」「これから先のことはわからない」…と、まぁ現代感覚でいうとかなりの下種不倫ヤローっぷりがさく裂。

シャロンも最初の無邪気な表情から、ちょっと表情が見えなくなっていきます。

そしてフランソワーズ登場。

もうこのシーンの緊迫感たるや…(涙)

シャロンが愛想尽かしをするシーンで、クロードが反応するのを「私の前で私を通り越した言葉を交わすのはもうやめて」って、ぶっちゃけ「二人の世界で会話するんじゃねーよコノヤロー!」ってことなのでしょうけれども(?)、こういう言葉が出てくるフランソワーズ、育ちがよく聡明なお嬢さんなことがわかります。

「さようなら、世間知らずの坊や」と、シャロンが去るときの後ろ姿もぐっときます。背中で芝居する娘役!

そんな聡明な二人の女性の間で、「よくわからない」とふわっと感満載のクロード…(苦笑)

 

で、個人的に最大の驚きだったのは「オチ変わっているじゃないか!」問題

オリエント急行に乗れず、シャロンは去り、フランソワーズも傷つけたクロードがミッシェルと会話します。

クロードが「あれは僕自身、すべてをかけた恋だった」と告白すると、ミッシェルが言います。

「大げさだな、君は。それじゃまるで、人生が終わってしまったようじゃないか。よくある話だ。セラヴィ、それが人生ってものだ。じゃあな。」

そうなんです、再演以降の「一つだけ頼みがある、君のさまよいがすっかり終わったら、また妹のもとに帰ってやってくれ。妹も待っているはずだ。」っていうのは、ないんです!

 

初演のあのフランソワーズならば、再び元の鞘におさまるようには思えません。

そしてミッシェルも、フランソワーズとともに、クロードのもとから去ったのだと解しました。

しかも、クロードが深く傷つくことのないよう(とはいえ傷つくだろうけれど)、セラヴィの言葉を残して笑顔で「じゃあな」と。

 

(ここから追記)

再演以降は、フランソワーズとの関係の今後についてはクロードの手に委ねられているんですよね。

「君のさまよいがすっかり終わったら」(終わったかどうかをジャッジするのはクロード)

「また妹の元に帰ってやってくれ」(帰るかどうかをジャッジするのはクロード)

と2段階のジャッジをクロードは迫られている。

でも、これまでのグダグダっぷりからクロードにこの手のジャッジを委ねず、自らの手でクロードに、そして己自身にも引導を渡す初演のミッシェルとフランソワーズ…

というのがね…優し過ぎかよ!(心の中で涙)。

(追記終わり)

 

この物語を貫く、ドライな緊張感には断然、初演の結末のほうがあっているように思います。

あんな目にあってフランソワーズが待っているなんて、なんだか野暮でウェットだし、冒頭のマオのシーンも既婚者(なような気がする?)で結局まだふらふらしているクロードのくずっぷりが際立つばかりじゃないか?

なぜ妹のところに戻ってくれ、がデフォルトになっちゃったの?!(涙)

 

ラストのマジョレ湖のシーンも、ちょっとした違いなのですが、初演の演出のすばらしさが印象的でした。

再演以降では、上手奥から下手手前に歩いてくるシャロンに対して、下手手前から上手奥に歩いていくクロードが、ちょうど向かい合うようにしてすれ違います。

が、初演は上手奥から下手手前に歩いてくるシャロンに対して、下手奥から上手手前に歩くクロードが、ちょうどクロスするようにしてすれ違うのです。

このクロスしてのすれ違いが、今後決して交わることのない二人の行方と、すれ違う時間の差が何ともいえない緊張感につながっていて、これもどうして対面のすれ違いにしちゃったのか…(涙)←なにげにすれ違っているみたいに見えちゃうんですよね…

(ただし、シャロンの「琥珀色の雨、まるで、美しい思い出のよう」の後に、クロードの心の声「さようなら、シャロン」がなくなったところはよかったと思います)

 

何もかもが初演が素晴らしい、という感じではありません。

再演以降は、シーンの絵的に洗練された、音楽の使い方がより美しくなった、と思えるところがいくつかありました。(青列車の中でのクロード妄想シーンとか、クロードが結婚後、偶然シャロンと再会して個室でああなってしまうシーンとか)

また、時代にあわせて変わったであろうシーンもありました。(シャロン登場時の歌、酔客からシャロンを救出するときの戦闘シーンの長さとか)

こうしたマイナーチェンジをしてもなお、セリフとセリフの間の緊迫感まで表現した脚本のすばらしさは色あせず、そしてその原点である初演を放送で見ることができたのは、とても幸せでした。