君が愛したひとりの僕へ 乙野四方字 早川書房
 
先日同時刊行された『僕が愛したすべての君へ』の虜となり、リンクしているであろう本書を購入しました。
 
予想としては『僕が愛したすべての君へ』で大事件に関与した並行世界の主人公の物語ではないかと思っており、予想通りであれば、残念だなと思っていました。なんせ結末が分かってしまっているため、読み終わって「ああ、やっぱりか」という落ちになるのが怖かったです。
 
しかし、これから読む方、興味があってもまだ購入されていない方、
 
安心してください!履いて・・・・
 
ではなくて、大変面白いリンクの仕方をしています。どこまで語っていいのかわかりませんが、とても語りたい。なんせ、昨日読み終わり、今日も仕事中ずっと浸っていたほどいい本だったので
 
 
まず、『僕が愛したすべての君へ』を初めに読んでいたため、すんなり世界観に入れました。
 
主人公は同じ“暦”ですが、一人称が“僕”から“俺”に変わっているだけでなく、辿った人生も異なり、人の愛し方も、歩む道も全く違います。
 
ただ、ところどころリンクしているところもあって、同じ人間でも並行世界で違う経験をしているだけに、考え方も180℃変わっています。
 
『僕が愛したすべての君へ』では並行世界であっても同じ人間ということを受け入れ、受け入れられない自分を克服使用としますが、本書『君が愛したひとりの僕へ』では、ただただ、一人を愛し続けます。並行世界の“彼女”(あえて彼女と言いますが、)にあってさえ、自分の世界の“彼女”を唯一として愛し続けます。
 
“すべて”と“ひとり”。
 
大局的な考え方ですが、どちらも共感できる愛の形でした!
 
“すべて”(以下省略)では並行世界というファンタジー要素の中に、現実的な事件が起こり、感情移入がしやすいと思います。
 
それと比べると“ひとり”では起こる事件がさらにファンタジー色の強いものになっていますが、切なさ、愛に対する愚直さ、主人公と“彼女たち”の一種のクレイジー加減が“すべて”を上回っていると思いました。
 
ただ、先に“すべて”を読んだの時に“ひとり”を読んだため、ある程度幸せを感じましたが、ざきが気になるのは、“ひとり”→“すべて”の順に読んだらどんな感想を持つのだろうということです。
 
読む順番だけは、1回しか選べず、新鮮な感想を抱けるのは1回だけです。
 
気になったとしても記憶を完全消去するか、過去に跳んで人生をやり直すしか方法はありません。
 
この2冊は、少なくともざきにとっては、生涯で完全に感想を忘れるということはできないと思います。
 
それだけ素晴らしい作品でしたし、完全に運の要素ですが“すべて”から“ひとり”の順に読めて本当に良かったと思います。
 
ざきはたとえご都合主義であってもハッピーエンドが好きです。
 
2冊は別々のストーリーのようで、合わせて読むことではじめて真実が発覚するタイプの小説です。もしも“ひとり”から読み始めてしまっていたら、作品の重圧にまけてここまで早く2作目の購入をしなかったかもしれません。
 
“ひとり”は内容が重たいです。でもあえてどっちが好きかを決めるなら“ひとり”というでしょう!
 
これはもしかしたら“すべて”での評価が2作品目を読み終えた段階で“ひとり”に上乗せされているせいかもしれませんね。
 
なので、ざきとは逆の順で読んだ方がいたらどちらの作品が好きかぜひ意見を聞かせていただきたいです。
 
いつかこの手の小説を好みそうな友人ができることを心待ちにしています。
 
『私は誰かを、待っている。』
 
作中のセリフで締め括ると同時に、このセリフのいろいろな解釈を聞きたいので、コメントお待ちしています!!
 
ではまた!!!