日本航空123便墜落事故について ~子供たちの文集は事故報告書を否定する根拠になるのか?~ | ザキリューのブログ

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1985年8月12日に発生した123便墜落事故の原因は事故調査報告書にて「修理ミスに起因する圧力隔壁の破壊」とされてますが、この説を否定する『自衛隊誤射撃墜説』の根拠としてよく挙げられるものが、墜落現場である上野村の子供たちが書いた文集になります。

 

『自衛隊誤射撃墜説』とは、123便が墜落したのは「自衛隊が訓練で発射したミサイルまたは無人標的機が123便に当たってしまったため」とする説です。

この説には続きがあって、「自衛隊は自分達のミスを隠蔽するために、極秘で出動させたファントムで123便が横田基地に着陸するのを邪魔した」「隠蔽のために墜落現場で証拠を回収した」などと唱えている方々もいらっしゃいます。

 

にわかには信じがたい説ですが、公式に発表されている「123便墜落後にファントムがスクランブル発進した」よりも早く、墜落前に極秘に出動させたファントムがあった証拠として挙げられているのが、子供たちの文集です。

 

一部の界隈では重要な証拠とされているこの文集ですが、なにせ一般の書籍ではなく小中学校の文集ですので、本屋はおろか普通の図書館にもございません。

「子供の文集に○○○と書いてある!」と声高に叫んでいる方々は当然文集を熟読してらっしゃると思いますが、普通に読もうと思っても難しいのが現実です。

 

今回は文集そのもののこと、文集に記述されている内容、および文集を読む方法について触れてみたいと思います。

 

1、そもそもどんな文集なのか

2、文集に書かれている内容

3、現時点で文集はどこで読めるのか 

 

1、そもそもどんな文集なのか

日航123便墜落事故の現場となった群馬県上野村。

夏休みに起こったこの事故は村の子供たちにも大きな衝撃を与えました。このような悲劇を二度と繰り返さないよう願いを込めて、上野村の小学校と中学校のそれぞれで制作されたのが計2冊の文集です。

 

「小さな目は見た」

 出版者:上野村立上野小学校

出版年:1985年9月

ページ数:116ページ

寄稿者数:148名

  1年生:18名

  2年生:22名

  3年生:27名 

  4年生:29名

  5年生:26名

  6年生:26名

 

「かんな川 5」

出版者:上野村立上野中学校

出版年:1985年10月

ページ数:164ページ

寄稿者数:87名

  1年生:33名

  2年生:27名

  3年生:27名

 

事故が起こったのが夏休み中だったため、文集の制作は学校の2学期が始まってからでした。事故当日のこと、事故後の村の様子や報道などについて感じたことが綴られております。

その他にも消防団員だったご家族の方が事故現場で生存者の方に法被をかけてあげたという話や、学校を利用していた機動隊の方から感謝の贈り物があった話など、他の文書にはない裏話も多いです。

 

ですが文集に過度の証拠的価値を見出すのはかなり危険と考えます。

制作が2学期が始まってからで事故からそれなりに日数が経過した後であることと、子供たちが大量の情報をインプットされた状態だったことを踏まえると、曖昧な記憶や間違った記憶があることは容易に想像できるからです。

 

印象に残った事象の有無や大枠の内容ならともかく、その事象が発生した細かい状況や時刻などを完全に信用するのは難しいでしょう。「子供たちが嘘をついている」という話ではありません。「記憶は容易く書き換えられてしまう」という話です。

これはアメリカの心理学者ロフタス氏の実験などでも明らかにされてますし、心理学用語ではありませんが「マンデラ効果(※)」なんて言葉が知れ渡るくらい“記憶が書き換わる”ことは日常的に発生するもの。

※マンデラ効果:大勢の人々が事実と異なる記憶を共有している現象を指す俗語。

 

個人の記憶と言うものは尊重されるべきものではありますが、自分の記憶が完全に正しいと断言できる人はいません。むしろ断言してる人がいたら、私は逆に信用できません。何事にも検証可能かつ明確な証拠が必要なのです。

 

文集から具体的な例を挙げてみます。

 

まず事故当日の123便の動き、自衛隊の動き、およびニュース速報のざっくりとした時系列を以下に記します。

 

《8/12》

18:12 123便が羽田を離陸

18:24 123便で爆発音が発生

18:56 123便が御巣鷹の尾根に墜落 → レーダーから消失

19:01 百里基地よりファントムがスクランブル発進

19:15 米軍輸送機(C-130)が現場を確認

19:21 自衛隊ファントムが現場で炎を確認

19:26 NHKで速報(アナウンサーによる口頭)

19:30以降 民放で速報テロップ表示

 

《8/13》

4:30 航空自衛隊が上空から現場確認

5:10 陸上自衛隊が上空から現場確認

6:30 上野村消防団が出発

9:00 陸上自衛隊が陸路で現地に到着

10:30 上野村消防団が現地に到着

10:50 生存者発見

 

上記を踏まえた上で文集を確認すると、おかしな記述が相当数あることに気付きます。

 

上野村立上野小学校「小さな目は見た」

1年生 T.Sさん
げつよう日のよる、六じはんごろ、おとうさんが「ひかった。」と、いったので、そとへでてみると、「なんか、かみなりかな。」といった。そしたら、おとうさんが、「ひこうきだ。」とさけんだ。

  ⇒18:30時点では123便は駿河湾上空を飛行中。

1年生 H.Kさん
わたしは、そとではなびをしていたら、ひこうきのおおきなおとがしました。はなびがおわって、うちのなかへはいって、テレビをみたら、うえのむらへひこうきがついらくしたようだと、ニュースがありました。

  ⇒速報時点で墜落地点が上野村だとは報道されていない。

2年生 R.Kさん
(8/13の)ごぜん九時ごろ、ニュースで、四人たすかったといったので、ほっとしました。

  ⇒9時時点で生存者は未発見なので、そのことがニュースで流れることはない。

3年生 A.Sさん
八月十二日の六時ごろ、ニュースでひこうきがついらくしたと言いました。

  ⇒18時はまだ離陸前。

3年生 H.Tさん
8月12日の夜にテレビを見ていると、ニュースをかわって(※原文ママ)、ひこうきがついらくしたと言いました。五百二十人しんでしまったので、かわいそうだなと思いました。

  ⇒8/12の夜時点では正確な犠牲者数は報道されていない。

5年生 Y.Iさん
八月十七日(※原文ママ)の七時ごろ、ぼくたちの上野村に、日航機が墜落しました。それがわかったのは、ニュース速報を聞いたからです。

  ⇒速報時点では墜落地点が上野村とは判明していない。

5年生 Y.Hさん
私は、十二日六時三十分ごろニュース速報で、「日航一二三便が、長野県付近でレーダーから消えました。」と出たのでお母さんに言ったら、すぐ来てニュースを見ました。

  ⇒18:30時点では123便は駿河湾上空を飛行中。

上野村立上野中学校「かんな川 5」

1年生 T.Kさん2
八月十二日ちょうど六時三十分ごろぼくの家の前の山の上の方でゴーというものすごい大きな音がした。

  ⇒18:30時点では123便は駿河湾上空を飛行中。

2年生 S.Aさん
六時三十分すぎ、私は、弟、妹といっしょにテレビを見ていたら、画面の上の方にニュース速報が出て、日航のジャンボ機がレーダーから消えたと書いてありました。ちょうどそのニュース速報が、出るちょっと前に飛行機が通ったような、とても大きな音が聞えました(※原文ママ)。

  ⇒18:30時点では123便は駿河湾上空を飛行中。

3年生 H.Kさん
6時30分ごろ大型飛行機が、飛んでいるような音がしたから外に出て見ると、勝山の南にある琴平山の方向から飛行機の音がしていたけれども飛行機らしきものは、見当たらなかった。

  ⇒18:30時点では123便は駿河湾上空を飛行中。

 

上記は明らかな時系列の矛盾や、後から知った情報による記憶の改ざんと思われる記述の一部です。中には誤記もあるかもしれませんが、いずれにせよ文集の内容を絶対のものとして扱うことがいかに危険かは、ご理解いただけたかと思います。

「具体的に書かれているから、記憶はしっかりしている」などと思い込んではいけません。

 

もちろん証言というものは重要な証拠の一つではありますが、文集の記述を何かしらの主張の根拠とするのであれば、その内容についての裏取りや他の情報と矛盾がないことの確認が必要です。

この文集に限らず、人の記憶の証拠能力がこの程度であることは認識しておくべきでしょう。

 

2、文集に書かれている内容

2冊の文集の中でも、事故の原因が『自衛隊誤射撃墜説』である根拠として挙げられるのが、小学5年生のH.Hさんと中学3年生のY.Kさんの記述です。

 

『自衛隊誤射撃墜説』を強く主張なされている青山透子氏の著書からの引用を以下に記します。

 

(「日航123便 墜落の新事実: 目撃証言から真相に迫る」(発売日:2020/6/8))

注意すべき点は、墜落前の大きい飛行機と小さな二機のジェット機という記述である。この子どもは具体的に目撃した時刻を書いている。これが一体何なのか、非番の自衛隊員が見た時刻から割り出すと大きい飛行機が日航機、二機のファントム機とすると筋が通る。それを見たのは小学校五年生のH・H君である。
『八月十二日の夕方、六時四十五分ごろ南の空の方からジェット機二機ともう一機大きい飛行機が飛んで来たから、あわてて外へ出て見た。そうしたら神社のある山の上を何回もまわっているからおじさんと「どうしたんだんべ。」と言って見ていた。おじさんは「きっとあの飛行機が降りられなくなったからガソリンを減らしているんだんべ。」と言った。ぼくは「そうかなあ。」と思った。それからまた見ていたら、ジェット機二機は埼玉県の方へ行ってしまいました。』(原文ママ、以下略)
六時四十五分という時間が具体的である。
その後しばらくテレビを見ていたらニュースで墜落の報道があったということである。時間的に見ると、墜落前であることからやはり大きい飛行機は日航機、小型ジェット機二機は公には発表されていないファントム機だと考えると他の目撃情報と辻褄が合う。いずれもくるくると何回もまわって見えていた、ということだ。

 

青山氏はH.Hさんが目撃した飛行機を「墜落前の日航機と、公には発表されていないファントム2機」としておりますが、果たしてそうなのでしょうか。

 

まず、具体的に時刻が書いてあっても、それが正しいとは限らないのは前述の通りです。

そして青山氏の著書では何故か省略されてますが、H.Hさんの記述には以下のような続きがあります。

 

それから、おれんちのお客が出てきて、「飛行機がレーダーから消えたんだって」と言った。おじさんが「これは飛行機が落ちたぞ」といいました。

 

H.Hさんが飛行機を目撃してすぐに、ニュース速報を見た“おれんちのお客”の発言があったのです。ニュース速報は早くてもNHKの19:26ですので、「六時四十五分ごろ~」という記述と明らかに矛盾します。

 

私は『H.Hさんが飛行機を見たのはニュース速報が出た19時半頃』と考えます。

 

そう考える根拠の1つ目は、『時刻の誤認』と『発言の有無の誤認』であれば前者の方が可能性が高いであろうこと。存在しなかった発言を記憶だけで作り出す(しかも複数の人間による複数の発言)より、時刻の勘違いの方がありえる話だろう、と。

 

そしてもう1つの根拠は、H.Hさんの『3機の飛行機が山の上をくるくると何回も回っていた』という目撃証言と同じような証言を、ニュース速報後として記述している子供が複数人存在することです。

 

上野村立上野小学校「小さな目は見た」

1年生 M.Sさん
8月12日のよる、うえのむらのおすたか山へひこうきがおちました。みんなでテレビをみていたら、ひこうきが、まいごになったとニュースでいいました。そしたら、おかあさんが、ひこうきのおとがしたのでそとへでてみたら、へんなひかりがいるといったので、みんなでそとへでてみました。
ピカンピカンとひかりながら、三つ山のうえをぐるぐるまわっていました。まいごのひこうきをさがしていました。

3年生 M.Hさん
(テレビで墜落に関するニュースを見た後)
ごはんをたべてるとき、おとうさんが、「○○、みてこい。」といったから、ぼくがみたら、ひこうきが、ぐるぐるまわっていました。ぼくは、やだなと思いました。

5年生 M.Oさん
ぼくの家では、テレビを見ていました。そのとき、画面の上の方に、ニュース速報で、日航機がレーダーから消えたとでました。もうそのときには、ぼくの家の上の方では、飛行機が3機ぐらい飛んでいました。お父さんは「それで、飛んでさがしているのだろう。」と言っていました。

上野村立上野中学校「かんな川 5」

1年生 T.Iさん
おれは、午後七時のときは学校の夏休みの宿題をやりはじめてから二分か三分くらいたってから自衛隊のジェット機の音がしたので外に出て見ていたらジェット機は何回も同じコースを飛びつづけていたのでお父さんに聞いたら日航の飛行機が墜落したらしいなと言っていました。

⇒『午後七時』とありますが、飛行機を目撃したのはお父さんがニュースを見た後。H.Hさんと同じ理由で、早くとも19時半頃の話と推測できます。

 

以上のように、H.Hさんと同じようなものが目撃されたのは、いずれもニュース速報のタイミングです。

H.Hさんを含めて、子供たちが目撃したのは『墜落前の123便とそれを追いかける自衛隊機』ではなく『墜落した123便を捜索している飛行機』だ、というのが私の見解になります。

 


 

青山氏の著書からもう一か所、引用させていただきます。

 

(「日航123便 墜落の新事実: 目撃証言から真相に迫る」(発売日:2020/6/8))

墜落前に見たものとして小学校でも記述があったが、大きい飛行機と二機のジェット機が目撃されている。中学校三年生のY・K君である。
『その日は、やたら飛行機の音がしていた。父ちゃんがおかしく思って外に出ていって、「おい、Y、飛行機が飛んでいるぞ。来てみろ。」と言ったので行ってみた。飛行機は大きいような飛行機と小型のジェット機が2機飛んでいた。五分以上もたっているのに、さっきから、ぐるぐる回ってばかりいた。外にいると蚊にさされるので家の中にはいった。そしてテレビを見ていたら「キロリン、キロリン」と音がして、なおいっそうテレビに注目した。ニュース速報で、大阪行き日航ジャンボジェット機123便が、レーダーから消えました。と書いてあった』とある。
これも大きい飛行機と二機のジェット機である。二機はファントム機に間違いないが、大きい飛行機はアントヌッチ氏が後ほど手記を書いたように、墜落地点を探しにきたC-130輸送機ではないだろうか、という説もあるが、アントヌッチ氏は自衛隊の飛行機は見なかった、ということである。二機のファントムと日航機による追いかけっこ状態だと推定される。

 

Y.KさんもH.Hさんと同じような挙動の飛行機を目撃した、という話ですね。

Y.Kさんの話の流れは以下のような感じです。

 

①やたらと飛行機の音がした。 

②ぐるぐる回っている3機の飛行機を目撃。

③家の中に入る。

④ニュース速報を見る。

 

これだけだと目撃した3機の飛行機が『墜落前の123便とそれを追いかける自衛隊機』なのか、『墜落した123便を捜索している飛行機』なのか判断できません。③と④の間にどのくらいの時間経過があったのかがポイントです。

 

青山氏が仰るように目撃された飛行機が「墜落前の123便」であれば、目撃したのは18:50頃で、ニュース速報が流れたのは早くても19:30頃です。

つまり③と④の間で30分以上が経過していることになりますが、これもまた私の見解とは異なります。

 

実はこのY.Kさんの記述にも、青山氏の著書では省略されている続きがあります。ニュース速報を見た後、Y.Kさんはお母さんと以下の会話しておりました。

 

「じゃあ、今、飛んでいる飛行機がさがしているんだ。」と言ったら、母ちゃんが、「どこへ落ったんかさ。」と言った。(※原文ママ)

 

目撃した飛行機を『今、飛んでいる飛行機』と称してます。

つまりニュース速報を見たのは飛行機を目撃した直後で、③と④の間の時間経過は極めて短かったことがわかります。

 

以上のことから、Y.Kさんが目撃した飛行機も『墜落前の123便とそれを追いかける自衛隊機』ではなく『墜落した123便を捜索している飛行機』と言えます。

 

ちなみに青山氏は『Y.Kさんが目撃した飛行機≠C-130輸送機』とする根拠として「自衛隊の飛行機は見なかった」と言うアントヌッチ氏の証言(※)を挙げてます。

アントヌッチ氏の証言は事実の誤認が散見されるため、完全に信じ切るのは危ないとは思いますが……それはそれとして、とりあえず航法士だったアントヌッチ氏の座席はコックピットの奥になるので、アントヌッチ氏は周囲の様子を視認できていなかったのではないかと個人的には思ってます。

確かなのは、C-130が現場に到着した直後に“墜落後に発進した”自衛隊機が現場に到着した、という事実です。

 

※アントヌッチ証言:日航機墜落事故の10年後の1995年に「サクラメント・ビー」紙上にて発表された、マイケル・アントヌッチ元米空軍中尉(当時)による証言。事故当時、アントヌッチ氏は米軍のC-130輸送機に航法士として搭乗していた。日本側に先んじて墜落した123便を発見し、救助を行おうとしたら基地への帰還命令が出たため救助を断念。このことについて緘口令が出た、などと手記で発表して話題になった。ただし、証言内容には事実と異なる記述も多い。

 


書かれていることが裏取り出来ることであれば、文集も事故が子供の目にはどう映っていたのかがわかる有用な資料です。

ただ、あくまでも“文集”ですので、公的なレポートのように誤解されない書き方がなされているわけではなく、読み手によっては解釈が色々可能だったりします。

 

例を挙げると、「真っ赤な飛行機」を見たと聞いた、と記述している子供がいました。

これに関して夕日を反射している123便とするか、123便のアンチコリジョンライト(衝突防止灯)の印象が強かったとするか、『真っ赤な飛行機=ミサイル』とするかなど、この言葉だけでは何通りもの解釈が出来ます。だから他の証拠との矛盾が無いことの確認や裏取りが必要になります。

(『真っ赤な飛行機=ミサイル』については「いつ誰がどこから撃ったのは全くわからない」「撃たれた瞬間に目撃される」「飛んでる間にすぐレーダーに発見される」など矛盾しか存在しないため、その可能性はゼロと考えてます)

 


文集の内容に関する結論は以下の通りです。

  • 『自衛隊誤射撃墜説』の根拠とされる子供たちの記述は根拠になっていない

 


文集の内容について、ちょっとした補足です。

文集に“書かれていること”ではなく“書かれていないこと”について。

 

事故当日の夜に「救助に向かおうとした自衛隊員2名が射殺された」というニュース速報があった……という話があります。

事故から数十年が経過した後、そのニュース速報を見たとする方が複数人現れるようになったのですが、証拠となる録画テープなどは一切出てきておりません。出てくるのは悪質なコラだけと言うのが現状です。

 

そもそもの話として「自衛隊員が射殺された」なんてニュースが流れることはありえないのですが(自衛隊が事故の隠蔽のために内部で殺人を犯したのに、自ら警察に即通報したんですか? それに『射殺された』なんてニュースが流れるには、撃たれた人が病院に運ばれて医師により死亡が正式に確認されて、検死で拳銃で撃たれたことが死因であると確定して、更にそれが公式に発表された後…‥とかなり時間がかかります。「撃たれて病院に運ばれた」も何もなしにいきなり『射殺』なんて報道されるわけないでしょう。その他、ありえない理由多数)、そんなニュースは存在しなかったとする根拠の1つとして、子供たちの文集が挙げられると思います。

 

文集には夜までTVにかじりついてニュースを見ていた子供の記述が多数ございます。身近に飛行機が墜落したかもしれないという異常な状況ですから、ニュースが気になって仕方なかったことでしょう。ネットなんて無い時代。情報ソースはTV、そしてニュースです。

 

でも文集には1人たりとも「自衛隊の人が射殺されたというニュースがありました」なんて書いてる子供はおりません。

これほどインパクトの強いニュースに誰一人として触れないなんてありえないと思いませんか?

射殺ニュースの後に訂正ニュースが流れたとしても「間違いだったみたいでよかったです」くらいは書きますよね?

 

文集のことだけをもって『ニュースは100%無かった』とは言いません。でも他の証拠と併せて、ニュースが無かったことの証拠の1つにはなり、結論として射殺ニュースなんて無かったと思ってます。

私は『事故から数十年経過してからの「ニュースを見た記憶がある」という証言』よりも『事故翌月に書かれた、誰もニュースに触れていない文集』を重要視します。

 

それにしても文集を絶対の証拠として自衛隊誤射撃墜説を支持してる人の中に、文集をもって射殺ニュースを否定する人を見たことないのは何故なんでしょう?

 

3、文集はどこで読めるのか

これらの文集の内容は青山氏の著書などで断片的な抜粋を読むことができますが、「ちゃんと読んでみたい」という方も多いでしょう。前述の通り裏話のようなものも多く、当該事故に興味のある方(というと語弊がございますが)は一読の価値があると思います。

 

この章ではどうすればこれらの文集を読めるかをご紹介いたします。

 

●図書館の利用

~どこの図書館にあるか~

珍しい本を探す際、蔵書にある可能性の高さから真っ先に浮かんでくるのは国会図書館ですが、残念ながらこれらの文集は国会図書館にはございません。蔵書数ランキングで国内上位の図書館も軒並み全滅です。

 

全国の図書館の所蔵検索を行った結果、ヒットするのは群馬県前橋市にある群馬県立図書館のみとなります。
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I10111101511108

 

群馬県立図書館には他にも123便墜落事故に関する本や遺族会の冊子、事故調査報告書などもございます。事故の現場である群馬県ならではと言えますね。

 

~どうしたら読めるか~

群馬県立図書館のこれらの文集は複数冊ずつ蔵書があり、「図書館内での閲覧用」と「貸出用」の蔵書がございます。

 

図書館で読む場合は、2階の群馬資料コーナーに文集が所蔵されてますので、そこで手に取ることができます。ただこちらの資料は閲覧専用で持ち出すことはできません。2階の机を利用して読む形となります。

 

貸出用の蔵書を借り受けたい場合は、カウンターにその旨を伝えてください。

その際は群馬県立図書館の資料検索結果で出てくる蔵書の中でも『書庫(BF)』が所蔵場所となっている蔵書を指定します。

 

もっとじっくり読みたい場合、考えられるのは『複写』でしょう。つまりコピー。

群馬県立図書館に限らず、図書館の蔵書の多くは「調査研究の目的」であれば複写が可能です。ただし著作権の制限により、複写は最大で書籍の半分までとなります。半分とは言え有効な手段……のように思えますが、これが一般的な書籍ではなく文集となると話は難しくなります。

 

1人の著者による書籍であれば「最初のページから半分のページまで複写が可能」などと話は簡単ですが、数多くの著者(今回は子供たち)がいる文集の場合だと「“1人1人の文章”の半分までしか複写できない=1人1人の文章それぞれの半分を紙などで隠しながら複写」となります。これはちょっと現実的な方法ではありませんので、複写は諦めた方がよろしいでしょう。

 

~遠方にお住まいの方の場合~

何度も足を運んで図書館内で読むにしても、借りて読んでから返すにしても、近くにお住まいの方であれば問題ございませんが、遠方の人間だとそうもいきません。そんな時に有効なのが“相互貸借”という制度の利用です。

 

相互貸借とは『近所のA図書館にはないけど、遠くのB図書館にはある蔵書』を借りたい場合、A図書館にB図書館から対象の蔵書を取り寄せてもらうよう申請し、その蔵書をA図書館で借りる制度です。

この制度を利用することで遠方にお住まいの方でも、お近くの図書館に群馬県立図書館から文集を取り寄せてもらうことにより、文集を借りることができます。

実は私もこの制度を利用して、都内の図書館に群馬県立図書館から文集を取り寄せてもらいましたし、おそらく青山氏もこの方法で文集を確認なされてます。

 

ただこの相互貸借という制度は、A図書館とB図書館が同一都道府県内の図書館であることを前提としている場合があり、群馬県外の図書館では申し込みが却下される可能性があることにご注意ください。群馬県立図書館は他県からの相互貸借も受け付けているので、ご近所の図書館が他県への相互貸借に関する申請を受け付けているかどうかは要確認です。

 

あと40年にわたって多くの方々が手に取ってきただけあって、「小さな目は見た」の貸出用の蔵書はかなり傷んでます。取り扱いには注意しましょう。
(製本されている「かんな川 5」は結構しっかりしてます)

 

~補足~

「小さな目は見た」のみではありますが、上野村図書館にも蔵書があるようです。
https://www.lib-eye.net/uenomura/book_detail_auth?authcode=jm4LxMGpKxPvvkd1ekf66w%3D%3D

 

ただこちらは私の方で実物を確認出来ておりません。上野村図書館まで足を運んでみたものの、開館しているはずの時間だったのに閉まってたんですよね……。

 

●日本航空安全啓発センターの見学

JALの安全啓発センターはJALグループ社員向けの研修・教育のための施設で、123便の機体の一部などが展示されてます。一般にも公開されていて、完全予約制ではありますが見学が可能です。

 

センター内には図書室があり、見学時間内であれば蔵書に目を通すことが出来ます。そして私が2023年9月にセンターを見学で訪れた際、図書室で「小さな目は見た」を見かけました(「かんな川 5」は不明)。

 

ただ1時間半の見学時間の大半が社員の方による案内・説明の時間となりますので、見学者が自由に動ける時間は15分あるかどうかと言ったところです。しっかり目を通すには少々時間が足りませんし、センターに行ったらセンターでしか見ることのできない展示や資料に時間を使われた方がいいでしょう。

 

●その他

個人的に文集をお持ちの方として考えられるのは、文集の実物が配布されたであろう当時の子供たちでしょうか。ただ40年経った今でもお持ちであるかどうかは厳しいですし、個人に文集を読ませていただくよう頼み込むのも非現実的です。

 


 

結論として、文集を読む方法は以下の2択になります。

  • 群馬県立図書館まで足を運んで、館内で読む or 借りる。
  • 近所の図書館に群馬県立図書館への相互貸借を申請して借りる。

 

以上、日本航空123便墜落事故に関する、上野村の子供たちの文集についての考察でした。