第4章 第4節 | 『パーシュパタスートラ(獣主派経典)』を読む



सर्वाणि द्वाराणि पिधाय ॥४॥


sarvaaNi dvaaraaNi pidhaaya ॥4॥
 
 
【全ての[1]扉を[2]閉めきって[3]、】
 
 
[1]sarvaaNiは全て(複)。[2]dvaaraaNi(複)[3]pidhaayaは、動詞pidhaa(閉める)の絶対分詞。
 
 
 心の扉を閉ざし、内面における引きこもりになるということである。完全なる心的篭城作戦。女性に媚態を振り撒きつつ、心を完全に閉ざせ、これを修業とせよ、というパーシュパタの戒律は、まさしくアティ(極端)と言えるだろう。反世俗的なアティ・マールガのパーシュパタと親世俗的なマントラ・マールガのシャイヴァ・シーッダンタ、或いはリア充、パリピ的修行の代表格であるカウラ派と陰キャ、ぼっち的修行を代表するナート派、これらの対立の構図は、もはや哲学や信条というよりかは、その懸隔埋めがたき性格の不一致と言ってもいいだろう。


 それでは我々は前回に引き続きムクンダ・ラール・ゴーシュことヨーガーナンダのクリヤー・ヨーガの続きを見ていくことにしよう。


 ヨーガーナンダの説く第2クリヤーは、第1クリヤーのジョーティ・ムドラーことヨーニ・ムドラーを行っている時に実践するものである。
 
 
①ヨーニ・ムドラーで目、鼻、口、耳が塞がった状態でムーラーダーラ・チャクラの下の筋肉を収縮させ、そこに意識を集中する。そして蜜蜂の羽音のような音に耳を澄ます。正の極に属する集中力が、負の極に属するムーラーダーラ・チャクラに注がれることで、音と光が発生するはずである。そしてその音と光にしばし意識を合わせて、いい頃合いをみて目とムーラーダーラ・チャクラを弛緩させる。
 
②次にムーラーダーラ・チャクラの上のスワーディシュターナ・チャクラを緊張させ、そこに集中力を向け、竹笛の音が聞こえてくるのに意識を合わせる。そして霊視する色が変わっていることを確認する(霊視については、ここで詳細な記述はない。しかし霊視の仕方は、筆者が後の記事で取り扱う予定の、遠隔透視の方法で詳細な方法を論じるのであまり深く気にとめる必要はない)。
 
③スワーディシュターナ・チャクラの筋肉の緊張を弛緩させ、次にマニプーラ・チャクラを同様に意識する。その時に琴の音が聞こえてくるはずなのでそれを聴く。
 
④次は同様にアナーハタ・チャクラである。深い鐘の音が聞こえてくるはずなので、それに耳を澄ませる。
 
⑤次にヴィシュッダ・チャクラである。そこでは首を左右に素早く降ることで音が聞こえるようになる。そしてこのチャクラの音は、波音のようなものである。
 
⑥次はタールカ・チャクラである。これはいわゆる脳下垂体や松果体のある下顎を除いた頭蓋骨の底の部分である。ここでは今までの全ての音、蜜蜂の羽音、竹笛、琴、鐘の音、波音が全て鳴り響くはずである。
 
⑦そして最後は、眉間に意識を集中する。ここではダイヤモンドの星を伴う青い中心の周囲に金色の輪が見えるであろう。そしてそこにおいてタールカ・チャクラまでの様々な音を聴く。
 
 このチャクラの意識の上下の移行を6回から12回行う。


現代ハタ・ヨーガの父ティルマライ・クリシュナマーチャーリヤの弟子のB・K・S・アヤンガールの行うヨーニ・ムドラー


 以上がヨーガーナンダの説く第2クリヤーである。


 続いてヨーガーナンダの説く第三クリヤー 。
 
 
 ここからはヴァイシュナヴァ(ヴィシュヌ教の)・マントラの  नमो भगवते वासुुुदेवाय(om namo bhagavate vaasudevaaya)を使う。 
 



 
 姿勢を正し、背骨を真っ直ぐにする。肩は後方にして、顎は床と平行にする。胸を張り、腹は出さない。臍の部分を組んだ両手で圧迫する(ナービ・ムドラー)。目は閉じるか、半眼にし、眼球は上方に向ける(シャームバヴィー・ムドラー)が緊張はさせない。
 
 
 ゆっくりと第1のクリヤーと同じ要領で、冷たいプラーナを「アウ」の吸気音と共に上方に移動させつつ、ヴァイシュナヴァのマハーマントラを順次、唱えていく。
 
①「オーム」と心で唱えて、ムーラーダーラ・チャクラに焦点を合わせる。

②「ナ」でスワーディシュターナ・チャクラに。

③「モー」でマニプーラ・チャクラに。

④「バ(帯気音)」でアナーハタ・チャクラに。

⑤「ガ」でヴィッシュダ・チャクラに。

⑥「ヴァ」でアージュナー・チャクラに。
 
⑦アージュナー・チャクラで保息する。
 
⑧次に保息したまま、首を左肩にできるだけ傾けて、「テー」を心で唱える。この時、タールカ・チャクラに意識を合わせ、プラーナがそこに至ると感じ、考え、イメージする。
 
⑨次になお保息したまま、首を右に傾けて、「ヴァー」を唱えて、プラーナはヴィシュッダ・チャクラに下降するのを念想する。
 
⑩まだ保息したまま、頭を落として顎を鎖骨近辺の胸にもっていき、暖かいプラーナが「ス」の音と共に、アナーハタ・チャクラに到達したとイメージする。
 
⑪「エー」音の呼気と共に、心で「デー」を唱えつつマニプーラ・チャクラに。

⑫「ヴァー」でスワーディシュターナ・チャクラに。

⑬「ヤ」でムーラーダーラ・チャクラにもって来る。
 
  以上がヨーガーナンダの第3クリヤーである。
 



 ヨーガーナンダの説く第4クリヤーは、
 
 第三クリヤーと同様に行い、保息しつつ、「(オーム・ナ・モー・バ・ガ・ヴァ・)テー・ヴァー・ス・(デー・ヴァー・ヤ)」⑧「テー」⑨「ヴァー」⑩「ス」の所のみ第3クリヤーと異なる。
 
⑧「テー」で保息して左肩→右肩→顎を鎖骨近辺につけるという一連の首回しを保息したまま行う。

⑨「ヴァー」でさらに保息したまま左肩→右肩→顎を鎖骨近辺につけるという一連の首回しをもう一回行う。
 
⑩「ス」でさらに保息したまま左肩→右肩→顎を鎖骨近辺につけるという一連の首回しをもう一回行う。
 
 
つまり、「(オーム・ナ・モー・バ・ガ・ヴァ・)テー・ヴァー・ス(デー・ヴァー・ヤ)」の「テー・ヴァー・ス」で保息したままチャクラを段階的に下降していき、三回首を回す。これがヨーガーナンダの第4クリヤーである。






 ヨーガーナンダの説く第3クリヤーで首を回す技法は、古式のラーヒリー・マハーシャイのクリヤー・ヨーガの技法では、第2クリヤーから登場し、Thokar kriyaa(ठोकर क्रिया)と呼ばれる。我々はまずこのThokar kriyaaという名称について検討することにしたい。kriyaaは、「行為」や「所作」という意味のサンスクリット由来の語である。しかしthokarは、プラークリット由来で「つまずき、足蹴り、打撃」という意味である。明らかにこの「トーカル・クリヤー」と名付けた人は、サンスクリットを強く意識していたわけでなく、口語からこの技法の名称を付けたことが分かる。これがラーヒリー・マハーシャイ以降の名称なのか、マハーアヴァタール・バーバー以前の名称なのか断定する根拠を我々は持たない。人間の一貫性を求める習性を考慮に入れて検討すれば、サンスクリットの教育をしっかり受けた人であれば、一つの技法の名称だけプラークリット的な名称をつけるとは思われない。この技法の名付け親は、知識豊かで書物に囲まれた学者生活や僧院生活を送った、サンスクリットにこだわりを持つ人ではなく、フランクな口語意識優勢の修業者であったと思われる。またプラークリットの混入ということから、このトーカル・クリヤーの技法は、違う名称の似た技法の存在の可能性は排除されないにせよ、伝説で言われるような1万年前だとか、数千年前に遡りうるという可能性は排除されると思われる。

 次に我々は、ヨーガーナンダの第3クリヤーで利用される有名なドゥヴァーダシャークシャラ(12音節)・マントラについて見ていこう。これは有名なヴァイシュナヴァ(ヴィシュヌ教)のマントラである。


 ここで我々は大いなる疑問を抱く。我々は、前々回の記事でハイラーカーン・バーバー=マハーアヴァタール・バーバー説とハイラーカーン・バーバー≠マハーアヴァタール・バーバー説とを見てきた。しかるにハイラーカーン・バーバーは、シヴァ神の化身とされ、19世紀型ハイラーカーン・バーバーでも20世紀型ハイラーカーン・バーバーでもその主神は、シヴァ神なのであった。


ハイラーカーン・アーシュラムの19世紀型ハイラーカーン・バーバーのムールティとリンガ(筆者撮影)


 シヴァ神の化身とも言われ、シヴァ神を主神とするヨーギンが、弟子にヴァイシュナヴァ(ヴィシュヌ教)のマントラを使う技法を教えるということに矛盾はないのだろうか。ラーヒリー・マハーシャイは、自らの過去世を、その日記の記述からも分かるようにカビールと見做していたと言われる。



ヴァーラーナスィーのラーヒリー・マハーシャイの家(筆者撮影)

ヴァーラーナスィーのカビール寺院(筆者撮影)

ヴァーラーナスィーのカビール像(筆者撮影)


 カビールはラーマ神のマントラでもってディークシャーを受けたヴァイシュナヴァの聖者である。ハイラーカーン・バーバーが、その人固有の過去世を鑑みて、ヴァイシュナヴァのマントラを使った技法を伝授したのであろうか。そもそもヴァイシュナヴァのマントラを利用する技法を根幹にするクリヤー・ヨーガであってみれば、その技法を教えたのは、19世紀型ハイラーカーン・バーバーではなく、別の聖者なのではないだろうか、などと疑問が次々と湧いてくるわけである。とりあえず想定される様々な論点や主張を思いつく範囲で列挙する。
 
①ハイラーカーン・バーバーは、シヴァ派の聖者である。マハー・アヴァタール・バーバーがラーヒリー・マハーシャイにヴァイシュナヴァのマントラと共に、クリヤー・ヨーガを伝授したことを鑑みれば、ラーヒリー・マハーシャイにクリヤー・ヨーガを伝授したサードゥは、単純に考えて、ヴァイシュナヴァの聖者であり、別人であろう。従ってマハーアヴァタール・バーバー≠ハイラーカーン・バーバー説が正しいであろう。
 
②然るに、ハイラーカーン・バーバーと深い関係のあった聖者としてバンガール地方のシーターラームダース・オームカールナート がいる。




 彼は、シヴァーナンダ・サラスヴァティーの後継者のスワーミー・チダーナンダからナーマ・アヴァターラと称された偉大な聖者であった。





 彼は若い頃に19世紀型ハイラーカーン・バーバーにクリヤー・ヨーガの教えを受けたと証言していて、亡くなる数時間前に20世紀型ハイラーカーン・バーバーから引導を受けた話は有名である。彼は有名なヴァイシュナヴァの聖者である。従ってハイラーカーン・バーバーは、弟子の過去世から続くそれぞれの特性に従って教えを授けたのであって、無理にシヴァ教の教えを押しつけたわけではなかったことは確かである。このことから言っても一概に、ラーヒリー・マハーシャイにドゥヴァーダシャ・アクシャラ・マントラと共にクリヤー・ヨーガを授けたという点だけからハイラーカーン・バーバーがラーヒリー・マハーシャイのグルではないという根拠は薄弱であろう。①への反論。
 

シーターラームダース・オームカールナートとスワーミー・チダーナンダ、20世紀型ハイラーカーン・バーバー、この時、チダーナンダは20世紀型ハイラーカーン・バーバーが非実体化するのを見たと証言している。


③そもそもハイラーカーン・バーバは、シヴァ教の聖者であるが、恐らく彼がクリヤー・ヨーガを創設したわけではなく、ハイラーカーン・バーバーにクリヤー・ヨーガを伝授したヴァイシュナヴァ系の知られざる聖者が実際にはいて、ハイラーカーン・バーバーは、単純に自分が教わった通りの技法をラーヒリー・マハーシャイに伝えただけかもしれない。
 
④ドヴァーダシャ(12)・アクシャラ(音節)・マントラは、その名の通り、12音節のマントラである。シヴァ・マントラもパンチャ(5)・アクシャラ(音節)・マントラだが、オームの字音も含めれば、六音節であり、シヴァ・マントラを2回繰り返せば、12音節の「オーム・ナモー・バガヴァテー・ヴァースデーヴァーヤ」のマントラと代替可能となる。
 
⑤次回から見ていくラーヒリー・マハーシャイの古式のクリヤー・ヨーガとマントラのそれぞれの音節と身体部位やチャクラの対応が、ヨーガーナンダの説くクリヤー・ヨーガのそれぞれの音節と身体部位との対応関係と一致しておらず、その利用は全くもって固定的ではない。技術の段階に応じて、その音節と身体部位との対応関係はどうやら流動的のようである。従ってドゥヴァーダシャ・アクシャラ・マントラの利用は必須でなく、それがなければクリヤー・ヨーガが成立しないということではなさそうである。


 次に我々は、⑤の主張に関し、ドゥヴァーダシャ・アクシャラ・マントラが、歴史的なヴァイシュナヴァのタントラ的な支派であるパンチャラートラ派の教典『スヴァーヤムブヴァパンチャラートラ』と『デーヴァームリタパンチャラートラ』で、どのように扱われているかを見ていくことにする。まずはパンチャラートラ派とその経典について簡単に触れておく。
 
 紀元前2、3世紀頃に成立した『バガヴァッド・ギーター』に代表されるようなヴィシュヌ神信仰の盛り上がりは、やがて紀元後数世紀をもって衰退する。代わりに興隆してきたのがシヴァ教の我らがパーシュパタ派に代表されるアティ・マールガであり、6世紀以降では、一般庶民や王侯を取り込んだ親世俗的なシャイヴァ・シッダーンタに代表されるマントラ・マールガであった。こうして時代は紀元前のヴィシュヌ教の隆盛期から、紀元後には、サンダーソンの言う「シヴァ教の時代」へと移り変わり、そのシヴァ教のシャイヴァ・シッダーンタとそのアーガマ聖典の一つである『ニシュヴァーササンヒター』の主に『ニシュヴァーサムカ』や『グヒヤスートラ』の影響を受けて成立したのが、今回我々が見ていくヴァイシュナヴァ(ヴィシュヌ教)のパンチャラートラ派の教典『スヴァーヤムブヴァパンチャラートラ』であり、その『スヴァーヤムブヴァパンチャラートラ』の影響を受けて成立した『デーヴァームリタパンチャラートラ』である※2。そのテキストの編者のディワーカル・アーチャリヤの序論に基づけば、『スヴァーヤムブバパンチャラートラ』は、シャイヴァ・シッダーンタのアーガマ聖典である5巻の『ニシュヴァーササンヒター』のおおよそ7~8世紀ぐらいに成立した『グヒヤスートラ』や『ニシュヴァーサムカ』に影響されたと言われ、その利用された貝葉写本は年代としては11世紀であるから、800年~1000年ぐらいの間に成立したものと思われる。また『デーヴァームリタパンチャラートラ』は12世紀ぐらいだそうである。


 両方の書において、ドゥヴァーダシャ・アクシャラ・マントラは、ヴィシュヌ神を勧請する際に使われている。前述のようにパンチャラートラ派は、シヴァ派のマントラ・マールガのシャイヴァ・シッダーンタに影響を受けて成立したヴィシュヌ派の支流である。ここで前もって言っておくが、アティ・マールガからマントラ・マールガに至るまで一貫してその根底にはシャーマニズム的な世界観とその技法が存する。このことに関しては今後の記事で詳しく述べるので、ここでは簡単に触れるにとどめるが、シヴァ派のアティ・マールガの諸派にせよ、マントラ・マールガの諸派にせよ、ヴィシュヌ派のパンチャラートラ派にせよ、こちらの物質世界とあちらの高次の異世界とを行き来する技法や理論、そして世界観の理解抜きには、その本質を理解するのは実際上、困難である。幸い筆者は、2年半の雌伏の時に、あちらの世界とこちらの世界を自由に行き来するシャーマン技法を理論的に導出し、それを他人と共有することもできるようになり、自分でも身につけたので、このブログの読者に対しては、クリヤー・ヨーガの解説が終われば、次にそのシャーマン技法を惜し気もなく出血大サービスの大盤振る舞いでもって無料開示する予定である。またそうしたシャーマニズム技法を身につけた読者自身が、実際にその異世界への旅を体験することで、インド中世の複雑怪奇で錯綜としたシヴァ教やヴィシュヌ教の行者が必死に説こうとしたシャーマニズム的なタントラ的世界観や技法の本質を追体験し、一望の下にそれを理解できるようになると期待してもらってよい。これは現代の如何なる超一流のインド学の教授連や、現代インドの最高のパンディットに100年就こうが学べることではない。これはハイラーカーン・バーバーのプラサード(恩寵)の下でブログを更新する筆者の稀有なるブログでもって何とかかんとか学ぶことができる類いのものである。とは言え、筆者のブログの読者がこの未曾有の幸運を全く理解していないことに関して筆者は500ルピー賭けてもよい。
 とりあえず未だシャーマニズム能力を身につけていないのんびり屋さんの読者の為にまずもって神の勧請の理論を簡単に解説しておくことにする。しかしインドの地域限定の特殊用語で解説すると逆に分かりづらくなるので、その特殊性を脱してほぼ一般理論の水準に達していると思われる20世紀最大の魔術師アレイスター・クロウリーの『魔術』から引用する。
 
喚起する(evoke)のが呼び出すことであるのと同様、召喚する(invoke)とは呼び入れることである。これが<魔術>の二つの流儀の本質的な差異である。召喚においては、大宇宙が意識の中に充溢する。喚起においては、自ら大宇宙と化した魔術師が小宇宙を創造する。人は<神>を<円環>へと召喚し、霊を<三角形>へと喚起するのである。『魔術』※1




 パンチャラートラ派の司祭がヴィシュヌ神をこちらの世界に勧請する際に、ドゥヴァーダシャ・アクシャラ・マントラが使われるのであるが、これはアレイスター・クロウリーに代表される現代の西洋儀式魔術の用語で言えば、「召喚(invoke)」を実践するということなのである。それはこちら側の不浄な物質世界に住む我々が、あちら側の浄化された世界に鎮座する神と関係を持つ為の方法であり、より詳しく言えば、我々の意識の圏内、そのある種の円環に神を取り込むということなのである。さらに別言すれば、それは我々の意識の円環を神へと開き、神のその円環へと我々の意識の円環を接続するということである。しかし、これは神がこちらの世界にやって来るということでは決してない。西洋儀式魔術では神をこちらの世界に喚起することはない。あくまで儀式を行う魔術師は神を召還するだけである。そしてその神の威力を借りて、虎の威を借る狐よろしく悪魔などの低級な霊を三角形などの依り代へと「喚起(evoke)」し、それを願望成就の為に使役するのが西洋儀式魔術の目的なのである。しかるにインドのシャイヴァ・シッダーンタやパンチャ・ラートラでは神をこの地上に「喚起」しようとするのだ。その詳しい儀式の次第が『スヴァーヤムブヴァパンチャラートラ』や『デーヴァームリタパンチャラートラ』に記載されているわけである。シヴァ神であればその依り代は、寺院のリンガであり、ヴィシュヌ神であれば、寺院の座であり、或いは神像などである。或いは場合によっては、自己の心臓の蓮華に神を「喚起」する場合もある。
 『スヴァーヤムブヴァパンチャラートラ』では、ドゥヴァーダシャ・アクシャラ・マントラで神は「召喚」され、アンガ・マントラなどを使ってその神は地上の座に「喚起」され定着させられるのである。この辺りの詳細は、読者がきちんとシャーマニズム能力を身につけてこちらの世界とあちらの世界を行き来できるようになり、その内的論理を理解したのを前提に、中世シヴァ教の歴史の概観する今後の記事で詳しく見ていくことになるだろう。

 とりあえずクリヤー・ヨーガの分析に足るだけのところをまずは見ていこう。
  
 『スヴァーヤムブヴァパンチャラートラ』の第7章において、ドゥヴァーダシャ・アクシャラ・マントラを用いたヴィシュヌ神の召喚は、以下のマントラの字音とヴィシュヌ神の身体部位を対応させた念想によってなされる。
 

om=頭、na=鼻、mo=額、bha=顔、ga=喉、va=胸、te=右腕、vaa=左腕、su=右脛、de=左脛※3、vaa=右足、ya=左足    
 
 
 また12世紀成立の『デーヴァームリタパンチャラートラ』の第11章においての対応は以下の通りである。
 
om=頭、na=鼻、mo=口、bha=喉、ga=両腕、va=胸、te=臍、vaa=背中、su=胴、de=両腿、vaa=両脛、ya=両足    
 



 
 ここで読者に注目して貰いたいのは、単にマントラの字音と身体部位が教典において一致しないこと、それぞれの教典やクリヤー・ヨーガの教えにおいて、その対応関係が明らかに流動的であるということ、これに尽きる。一般的にチャクラとその固有の字音は、『ジャーバーラ・ダルシャナ・ウパニシャッド』の第8章にも言及のあるハヤラーヴァラ(hayaraavala)の字音が対応しているとされている。
 
ムーラーダーラがlam
スヴァーディシュターナがvam
マニプーラがram
アナーハタがyam
ヴィシュッダがham
頭部がaum



 
 
 このハヤラーヴァラの字音と「オーム・ナモー・バガヴァテー・ヴァースデーヴァーヤ」の字音に共通性はない。しかしながら、マントラの字音と身体の対応部位をグルが霊的に前もって取り決めることでそのマントラを授けられた者が、そのマントラの字音を唱える時に、そのグルが指定する身体部位へと意識を強く置く助けにマントラがなるということが、筆者のシャーマニズム技法の個人的な研究でも明らかになっているので(これは遠隔透視の方法論の記事で詳細を論じる)、そうした意図を込めてクリヤー・ヨーガの師がマントラを授けている可能性は考えられる。しかしそうした仮説はとりあえず置いておいても、パンチャラートラの教典やクリヤー・ヨーガの様々な技法の段階における恣意的とも言えるその対応関係の流動性や、ハヤラーヴァラの字音とチャクラの関係などから、ドゥヴァーダシャ・アクシャラ・マントラをクリヤー・ヨーガの技法に適用することに関して厳格な必然的関係や結合を想定すことはできないと筆者は考えるものである。従ってそれはシヴァ・マントラでも他のマントラによっても恐らく代替可能なはずである。





 未だクリヤー・ヨーガの全貌が見えていない以上、これらのことについて多くの断定は避けねばなるまい。とりあえず読者にあっては、その技法とその技法の背景や問題点にある程度注意を払えればまずはよい。その辺りに妥協ポイントを見出だして今回の散漫な記事を終えることにしたい。次回から、我々はエンニオ・ニーミスのクリヤー・ヨーガの研究を基に古式のラーヒリー・マハーシャイのクリヤー・ヨーガを見ていく予定である。


※1 アレイスター・クロウリー著、島弘之、植松靖夫、江口之隆訳『魔術』 国書刊行会 p52

※2『Early Tantric vaiSNnavism: Three Newly Discovered Works Of The PaJcaraatra The svaayambhuvapaJcaraatra, devaamRtapaJcaraatra, ASTaadazavidhaana』Institut Français de Pondichéry   Diwakar Acharya XV

※3 上掲の英語の序論XVではthigh(太もも)と解説されているが原文は、जंघ(脛)であるからshankとすべきであろう。