第2章 第18節 | 『パーシュパタスートラ(獣主派経典)』を読む


तस्मात् ॥१८॥



tasmaat ॥18॥



【それ故に[1]、】



[1]tatの従格である。「それ故に」という意味である。


   今回の記事では、昨日登場した20世紀三大みんなのパフォーマンスグルの一人グルジェフについて、その教えの根幹にあるスーフィズムの伝統と合わせてさらに詳細を見ていこうと思う。


 グルジェフは、ウスペンスキーに古い伝統を持つスクールを探すことについて質問された時にこのように答えている。《見つけるのはいいが、ただ<哲学的な>スクールしか見つからないよ。インドには<哲学的な>スクールしかない。ずっと以前に分裂してしまったのだ。つまりインドには<哲学>、エジプトには<理論>、そして現在のペルシア、メソポタミア、トルキスタンには<実践>というふうにね。》(P35、前掲『奇蹟を求めて』)、そこでウスペンスキーはどうやってグルジェフは、その知識を得たのかたずねる。グルジェフは、《私は一人ではなかったのだ。仲間にはあらゆる種類の専門家がいた。みんな自分の分野を研究していた。後で集まったとき、みんなが発見したものを集め、総合したのだ》(P35、前掲書)と答えた。ウスペンスキーはこのような曖昧な発言をするグルジェフを述懐してこのように述べている。《彼はまちがいなくある知識をもっていたが、それを手に入れた場所やスクールについてほとんど何も言わず、話すとしてもいつも表面的なことしか話さなかった。チベットの僧院や、チトラル、アトス山、ペルシアやボカラや東トルキスタンのスーフィーのスクール、またダルウィーシュの種々の流派などを口にはしたが、すべてひどく不明瞭であった。》(P68、前掲書)


 このように弟子のウスペンスキーに対し自分の知識の出所を曖昧にしたままのグルジェフは『注目すべき人々との出会い』(棚橋一晃監修、星川淳訳、めるくまーる)において、上記の仲間の専門家などについて多くを語っている。



   しかし、肝心の知識の出所は依然曖昧なままである。またその中でグルジェフは中学生の好奇心をそそるような単語を並べたてる。「大洪水の前の大洪水」(P53、ここでグルジェフははっきりとアトランティスの位置をアメリカ大陸と言及している)、「イェジディ派(悪魔崇拝呼ばわりされ、孔雀天使を崇拝する人々)」(P89)、「ゴルナーク(死体に取りつく悪霊)」(P95)、「サルムング教団(紀元前2500年にバビロニアで設立された秘密教団で、過去のニネヴェ、現在のモズル市から三日の行程にあるイズルミーン渓谷に存在するという)」(P119)、「前砂漠期エジプトの地図」(P131)、「世界同胞団(パキスタンにあるカフィリスタンのアフリディスの居留地、パミール渓谷、チベット、インドに四つの僧院を持つ)」(P305)等々(この『注目すべき人々との出会い』も創作の要素を多分に含み、重要な名称などの単語は変えていると思われるので、その虚実の判断はつきかねる)。


   グルジェフは、またある時アフガニスタンのカーブルからキャラバンで旅程一ヶ月の所に伝説のサルムング教団のある渓谷へ招かれて、向かうことになったと同書で語っている(日程を一日35キロと見積もれば、1000キロ離れていることになる。だいたいカーブルからサマルカンドまでが800キロぐらいだからその円周上ぐらいの山脈付近にあり、そうなると前述のニネヴェからだいぶ離れていることになる)。しかしながら冷静になって熟考してみれば、サルムング教団(sarmoung brothehood)という名前は、たとえ実在していても実際の名前ではないだろうと思われる。もしサルムング教団が実際の名前なら、確実にある程度、西欧のグルジェフフリーク達に突き止められているはずであるから。私はサルムングという単語に、第一章でお馴染みの『鳥の言葉』の著者アッタールのシームルグ(simurgh)との関連を思い起こす。



   『鳥の言葉』は、霊鳥シームルグを求めて旅だった鳥たちが、やがて様々な谷を越え三十羽までに激減していき、最後に自分達こそがシームルグ(三十羽、si morgh)であると気づくという話である。グルジェフの『注目すべき人々との出会い』そのものが真実を求めて旅立った仲間との出会いと別れそして死を描いているという点では『鳥の言葉』の人間版のようなものである。グルジェフの知識がスーフィズムの影響を如実に受けているのはよく知られているが、チベットのカギュ派のサルマン僧院がサルムング教団の所在地ではないかという見解もあるようである。しかしグルジェフの思想にチベット密教の教えの影響は僅かしかない。というわけで今回は、せっかくだからグルジェフを媒介にスーフィズムの教えを見ていくことにしたい。

 まずスーフィズムの定義を、フランスの哲学者ジャック・デリダも、その膨大かつ深遠なる知識量にもとづく博覧強記ぶりに恐れ入って脱帽し、また子供の頃よりその親父からは、目の前に「心」の一字を大書したものをチラチラちらつかされて参禅させられたうえに、「心」になりきるという瞑想を叩き込まれ、30の言語をマスターした我が国のイスラーム研究の大家、「プロフェッサー井筒」こと井筒俊彦の『イスラーム思想史』(中公文庫)から引用する。


「スーフィズム」とは言うまでもなくイスラームの内部に起った神秘主義を指す西欧の用語であって、原語では「タサゥウフ」というが、原語で神秘家自身のことを「スーフィー」と呼称するので、それにもとづいてスーフィズムという言葉が造られたのである。スーフィーというこのアラビア語が元来何を意味したか、またなぜ神秘家がスーフィーと自らを呼びかつ他からもそう呼ばれたかについては諸説があって決定しがたい。色々の違った説の中で普通に採られているものによると次の通りである。「スーフ」とは羊毛を意味する。従ってスーフィーとは羊毛の衣を着た人の意である。昔のアラビアでは羊毛の粗衣は人々の軽蔑の対象をなす下層社会、極貧者、奴隷、囚人の衣であり、また同時にそれは特にイスラーム発生以前からアラビア半島の沙漠の奥地にひそやかな庵をむすんでベドゥイン達の驚異の的となっていた多数のキリスト教の隠者、修道士の常衣でもあった。ところがイスラームが起こって後、現世の栄耀栄華をはかなんで世を棄て、羊毛の粗織衣を身につけ隠遁の生活に入る人が続々と出るに至って、「羊毛を着ること」が現世的生活を離れて苦行の道を選ぶことの象徴的表現となったのである。それはともかく、もともと「スーフィズム」というものは、愛欲煩悩に縛られた現世の生活を厭離し、罪悪深重の我にたいする慚愧痛恨の裡にこの世の一切の桎梏を断って、人里はなれた山野に隠栖し、厳粛な規矩制戒によってひたすら永遠の世界を求め、霊魂の救済を獲ようとする隠遁者の生活様式を意味するものであって、元来は決して何等の「主義」(イズム)でもなかった。すなわち、その原意は修道苦行の道であって、知ではなく、まして理論的な思想ではなかった。Asceticismであって、完全な意味におけるMysticismではなかった。通常、神秘主義否定道の三段階と認められる、Purgatio――Illuminatio――Perfectio(Union Mystica)を規準として考えるなら、最初期のスーフィズムはその最下段に止まっていたと言うことができよう。ところがこれら初期の行者達をして自己の体験の理論的反省に向かわせ、行を転じて知となし、次第にミスティシズムの名に価するものにまで展開させるに至った原動力は、まず何よりもアッバス朝治世時代の前期に滔々としてイスラーム思想界に流入した新プラトン思潮であり、さらにこれを体験的にも理論的にも深化開展させて幽邃な哲学思想とし、或は優婉流麗な詩歌に開花させたものは様々の形で様々な次元で当時の中近東一帯に拡がっていたグノーシス的秘儀宗教やインドの宗教哲学、仏教などの働きであった。(P171-172)


 それでは実例として、スーフィーの大家バーヤズィード・バスターミーの逸話を参考に掲げることにしたい。引用は『鳥の言葉』の著書ファリード・ウッディーン・ムハンマド・アッタールの『イスラーム神秘主義聖者列伝』(藤井守男訳、国書刊行会)より。


伝えられるところでは、彼はこうも語った。
「ある男が私のもとに来て、“どこに行くか”と尋ねるので“メッカ巡礼に”と答えた。“いくら持っているか”と男が言うので“二百ディルハムだ”と答えた。
“その金をわしによこせ、そして、七回わしの回りを回るのだ。これがおまえの巡礼だ”
私は言われる通りにして戻ってきたのだ」(P160-161)



バーヤズィードはアフマドに尋ねた。
「いつまで旅を続け、世界を経巡るつもりかね」
アフマドは答えた。
「水は一つ所に止めておこうとしても形が定まらず姿を変えてしまいますゆえ」
導師バーヤズィードはこう言った。
「なぜ、大海であろうとせぬのか。変化することも汚れることもないではないか」
それからバーヤズィードは一同に説教を始めたが、アフマドは「もっとわれわれの近くまで降りて下さい。われわれには理解できませぬ」と言い続け、七回繰り返し聞いてから、やっと彼らはバーヤズィードの説く言葉の意味を理解した。(P176)


伝えられるところでは、ある晩導師は、就寝前の礼拝の時から夜明けまで、爪先で立ち通した。下僕がその忘我の境地の様子を見ていると、導師の目から血が土の上に流れ落ちていた。彼は驚きのあまり、早朝、導師にこう尋ねた。
「あの心的境地は一体何だったのでしょうか。私にもあの心の境地をお恵み下さい」
導師は言った。
「私が第一歩を踏み出すと、そこは天の玉座であった。玉座はまるで、飢えた何でも口にする狼のように見えた。私は言った。
“おお玉座よ、汝には《慈悲深き方は玉座に鎮座したもう》(コーラン第7章五十四節など)ということが明示されているはず。さあ、どうしたことなのか“
玉座は答えた。
“その言葉はここでは意味を持たぬ。汝の心には、我はこう示されるはずだ。《我は心砕かれし失意の者たちのもとにある》、つまりは、我を求めるなら、思いを遂げられぬ者たちの中に求めよ、ということだ。もし、天に住まう者たちであれば、我を地上の者たちに求め、地上の者であれば、天人の住人に、老人であれば若者、若者であれば老人に、禁欲の徒であれば、頽廃せる者(ハラーバーティー)に、頽廃の徒であれば禁欲家の胸の中に、つまりは神を求めよ、ということだ”」(P183-184)



   私は600年前の過去世ではムスリムだったこともあるので、イスラームに抵抗が全くない。ちなみに私は過去世において私の知る限り、バラモン教、儒教、仏教、ヒンドゥー教、イスラーム、神道、キリスト教を渡り歩いている。そして今の私は、一応公式には仏教徒であるのだが、そのすべての形式的宗教を超えてしまっているので、間の抜けた表現で恐縮だが自らを「超宗教人」と考える。これはスーフィズムの本質とも一致している。以下『スーフィー』(イドリース・シャー著、久松重光訳、国書刊行会)より引用する。




彼は、無神論も信仰も超えている。彼にとって価値とか罪とは何なのか?彼は隠れている――彼を探せ!



ルーミー著『シャムス・タブリーズ詩集』(P39)


スーフィズムは、その信奉者によれば、全ての宗教の中に潜んでいる内面的な「秘密」の教えであると考えられている。またその根源は、全ての人間の心のなかに既に埋め込まれているため、スーフィーの発展に伴い、必然的に至る所でスーフィー的表現に出会う。(P48)


スーフィーの伝承によれば、近東における古い秩序の崩壊によって、エジプト、ペルシア、ビザンチン帝国で営まれていた秘教的教えを奉じる学校であった「メルクリウスの数珠」は、本来の進化論的なスーフィズムである「水銀の流れ」へと再編成された。(P56)


イスラムがスーフィー思想の伝播に果たした最大の貢献は、排他的でなかったことと文明というものは進化し、また有機的なものでさえあるという理論を受け入れたことであろう。(P57)



 スーフィー思想同様にギリシア哲学が、イスーラム文化によって保護を受け、中世ヨーロッパの暗黒時代をくぐり抜けたのは有名である。イスラームはその保守性故に、様々なものをその破壊者から守るという重要な隠された霊的使命がある。



あるペルシア人の学者によれば、スーフィズムは、キリスト教の変わり種であるという。オックスフォード大学のある教授は、スーフィズムはヒンドゥーのヴェーダーンタ哲学の影響を受けていると考えている。アラビア系アメリカ人のある学者は、スーフィズムはイスラームにおける主知主義に対する反動であると語っている。セム語系文学を専門としているある教授は、そこには中央アジアのシャーマニズムの痕跡があると主張する。ドイツ人ならば、私たちはがスーフィズムの中にキリスト教や仏教を見いだすように仕向けるだろう。非常に偉大なイギリスの二人の東洋学者は、ネオプラトニズムからの強い影響があると見込んでいるが、もし問い質せば、彼らのうちの一人は、スーフィズムはおそらくネオプラトニズムとは関係なく生まれものだと認めるだろう。アメリカの大学で自分の見解を公表しているあるアラビア学者は、ネオプラトニズム自体がギリシア思想とペルシア思想が混淆したものだと確言している。スペインの高名なアラビア学者の一人は、キリスト教の隠遁的修道生活の始まりがスーフィーの起源であると主張する一方で、だしぬけにマニ教的二元論をその起源として持ち出す。劣らず高名なもう一人の学者は、スーフィーのなかにグノーシス主義を見て取っている。一方スーフィー文献を翻訳しているイギリス人の教授は、スーフィーを「ペルシアの小さな宗派」と見做したがっている。しかし別の翻訳者は、スーフィーの神秘主義的伝統は、「『コーラン』自体の中に」あるとしている。「スーフィズムに関するアラビア語やペルシア語の著作に見られるについての無数の定義は、歴史的に見れば興味深いが、その主たる重要性は、スーフィズムは定義不可能だということを示した点にある」。(P62)




幸運にも悟りを得た者〔スーフィー〕は、
詭弁は悪魔に由来し、愛はアダムに由来していることを知っている。



ルーミー著『マスナウィー』(P66)



スーフィーによれば、「スーフィズムは、生の冒険、不可欠な冒険である」と言われている。(P77)



ライオンは、たとえその隠れ家で餓死しようとも、
犬の残り物は食べない。
飢餓に身を委ねなさい。
卑しい者の歓心を買おうとするなかれ。

サアディー『薔薇園』(P135)




アッタールは、伝統的には「止まれ!」と呼ばれている、スーフィー独特の時の休止の行を後世に伝えたとされている。教師が、ある特別な時に、生徒たちに動きを完全に止めるよう求める時に、これが起こる。この「時の休止」の間に、教師は、自分のバラカを人々に放出する。すべての肉体的な動きを突然停止するのは、意識を開いて、筋肉運動によって、意識の力が弱められている特殊な新しい心的状態を受け入れられるようにするためであると考えられている。(P146)


踊るデルヴィーシュ教団の創立者である、マウラーナ(我らが師)、ジャラールッディーン・ルーミーは、《学者、神学者、偽教師の追従者に向かって訴える。「あなた方は、いつ水差しを崇め愛することを止め、水を探し始めるつもりか?」、人々が普通判断の拠り所にするのは、外観である。「葡萄酒の色とグラスの色の違いを見分けなさい」》(P159)


「あなたは、次元の世界に属している。しかしあなたは無次元からやってきた。第一の「店」を閉じ、第二の「店」を開け」とルーミーは、ある詩句で歌っている。(P165)


主たる教団の多くには、ニックネームが付けられている。リファーリー教団は「泣き叫ぶデルヴィーシュ」と呼ばれている。カランダリー教団は「剃った者たち」、チスティー教団は「音楽家」、マウラウィー教団は「踊る者」、ナクシュバンディー教団は「沈黙する者」と呼ばれている。(P341)


教団内部で弟子が一人の導師のもとで一連の修業をする許可が得られたときには、その者は、従来の心意状態では知覚できない体験に備えて心の準備ができていなければならない。この過程は、条件付けもしくは機械的思考の放逐を追求するものであるが、「微細なるもの(ラティーファ、latifa、複数形はラタイフ、latifa)の活性化」と名付けられている。(344)


弟子は、五つのラターイフ(心、霊、秘密、神秘的なるもの、深く隠されたもの)を覚醒し、意思伝達に関する七つの微細なる中枢(センター)のうちの五つを通じて、悟りを得なければならない。(P344)



   七つの微細なる中枢とは、心・霊・秘密・神秘なるもの・深く隠されたもの・「小我」の複合体からなっている「大いなる自我」(これが我々が一般的に自分の個性と考えているものであり、人格である)・第七の微細なるもの(これは真の賢者に相応しいものである)。



ラターイフの活性化に関わっている部位は、次の通りである。大いなる自我(意識、sirr)は丹田(太陽神経叢)にある。心(qalb)は心臓のある部位(左側)にあたる。霊(ruh)は心臓の位置の反対側(右側)に、秘密のラティーファ(ikhfa)は心と霊のちょうど中間(胸の中心部)にある。神秘的なるもの(直観、khafi)は額にあり、深く隠されたものは脳内にある。(P346)


各学派の専門的技法のうちには、教師が「止まれ!」と叫ぶと、生徒は、楽にしてよいと言われるまで、全ての身体の動きを停止する「キッフ」もしくは「イスト」と呼ばれる行がある。この行は、ナクシュバンディー教団の教師によって行われているもので、その教団の第九の秘密の規則であり、連想的思考の網を破り、「バラカ※」の伝達を可能にする効果があると考えられてきた方法である。(P350)


※バラカは、聖者などから発散される美徳のような、ある特質である。恩寵やシャクティ的な意味であろう。


 ここまで見てきてお気づきの通り、グルジェフワークの基本にあるストップ行法が、シーモルグを求める鳥の旅を描いた『鳥の言葉』の著者アッタールによって編み出され、そして「沈黙する者」と呼ばれるナクシュバンディー教団の第九の秘密の規則に基づくものであるということが上記の記述より分かる。またさらにナクシュバンディー教団の本拠地は、サマルカンドよりさらに西のウズベキスタンのブハラにあるのである。



   そしてこのブハラは別名をボカラといい、何を隠そう、グルジェフの著書『ベルゼバブの孫への話』の「ボカラのダーヴィシュ」という章で、高地ボカラの渓谷で、ベルゼバブがダーヴィッシュのハジ・ボガ・エディンとハジ・アスヴァッツ・トローヴと一緒にオクターヴの法則を秘密の洞窟で研究したところなのである。このブハラは、カーブルからだいたい900キロの距離にあり、キャラバンで一ヶ月ぐらいであるから、距離的にも上記のグルジェフがキャラバンで向かったサルムング教団のあるべき位置に驚くことにピッタリなのである。
 そういうわけだから続いてナクシュバンディー教団の特徴を川本正知の論文『ナクシュバンディー教團の修業法について』(東洋史研究、1983年、285-317)を参考に要約しつつ見ていきたい。


ナクシュバンディー教団のタリーカ(修業法)は大別して11の秘密の規則に分かれる。

①呼吸における知覚
②足許への視線
③自国での旅
④集団の中での隠遁
⑤回想
⑥回帰
⑦注意
⑧追憶
⑨時の知覚
⑩数の知覚
⑪心の知覚



①は常に呼吸と共に神を想起することである。

②は常に謙遜の修業として足許を見て歩くということである。

③修業としての巡礼の旅を否定して、精神的に旅をするということである。

④は隠遁の否定であり、集団の中で積極的に会合を持ちつつ、修業するということである。お気づきの通り、これはグルジェフがいった第四の道である。肉体修行メインのファキールの道・感情センターによる修行の道である修道僧の道・精神に働きかけるヨーギンの道ではない、第四の道である世俗の中でのワーク、これはつまりグルジェフが言ったグループワークそのものである。

⑤はズィクルである。声を出さないズィクルはイスラーム版マントラヨーガであり、ジャパである。声を出すズィクルは、キールタンないしバジャンである。

⑥は⑤で得られた精神状態を持続させる為の言葉をズィクルの後に唱えることである。

⑦ヴィッパーサナ瞑想のようなものである。これをグルジェフは自己観察と呼んだ。しかしナクシュバンディー教団においては、神の意識以外現れない状態を保持するのが目的である。

⑧は完全な神と共にいることによる法悦である。

⑨は、自己の時間を検査・確認・反省し、上記のような善き修業者としての時間を送ったかを検査するものである。そしてこれが川本論文に記載はないが、イドリース・シャーの言及するナクシュバンディー教団のストップ行法を含む第九の秘密の規則なのである。



⑩一呼吸に何度信仰告白の言葉を唱えたかについての注意である。「アッラー以外に神はなく、ムハンマドはその使徒である」と唱えるが、それは一呼吸に21回以内とされているようである。

⑪「人間の統合的一者性の実在を」を知覚することとされる。グルジェフの自己想起とは恐らくこれのことである。《ナクシュバンディー教団のズィクルにおいては、La ilaha illa Allahという言葉を唱える時、意識の集中点をLaという言葉を心の中で唱えながら、へその下から胸へとあげていき、illahと唱えつつ右腕の方へと移動させ、illa Allahという言葉と共に、集中点を、左の胸のqalbに向かって、その熱が肢体にいきわたるがごとく、力強く打ち込むのである。この方法によるズィクルを続けていったならば》、心の体験は神秘的合一体験へと変わるとされる。


 こうして見ると、グルジェフワークの根幹がほとんどナクシュバンディー教団の規則そのものだということが分かるであろう。グルジェフは20世紀初頭のナクシュバンディー教団のどこかのグループに参加したのだと思われる。そしてその名を秘しつつグルジェフはそこからイスラーム的要素である唯一神の信仰とズィクルを除去して欧米に広めたわけである。これでなぜグルジェフワークがいささか冷笑的で効果が薄いのか分かるであろう。それは仏教の瞑想から三宝への帰依心と慈悲心を外し、ヒンドゥー教の瞑想からマントラとバクティを取り外したようなものである。これらグルジェフが20世紀の西洋人のために取り外したものこそが、実は霊的修養の根幹であり魂なのだ。またグルジェフはストップ行法を見世物にしたが、そこで弟子達にバラカを伝達しようとした形跡さえない。20世紀三大みんなのパフォーマンスグルの教えに特徴的ないささか画竜点睛を欠く、その欠陥的な修行の道の特性は、真実のグルであるようなハイダーカーン・ババ、ニーム・カロリ・ババ、シルディ・マウラーナ、ナクシュバンディー教団の修業との違いから浮き彫りになるであろう。


  次に前回のグルジェフの振動論に対するスーフィズムからの補足を行う。



鉱物界、植物界、動物界、人間界はそれぞれ波動が次々と変化したものであり、各界の波動はその重さ、幅、長さ、色、効果、音、リズムを異にします。人間は単に波動で形づくられているだけでなく、その中で生き、活動している。……このような生のあらゆる状態は、それが思考であれ、感情であれ、感覚であれ、何らかのの波動に左右されます。物や生きものの多様性をもたらしているのは波動の活動の方向です。……波動には粗大な相と微細な相があり、両方の相にさまざまな段階があります。魂で感じとられる段階もあれば、知性で感じとられる段階、目で感じとられる段階もあります。魂で感じるものは感情の波動。知性で理解するものは思考の波動。目で見るものはエーテルの状態から固体化した波動で、それは五大(エーテル、空気、火、水、地)を構成する原子に変わって物質界に現れます。最も微細な波動は魂でさえ感知できません。なぜなら、魂のそのもがこのような波動で形成されていて、自らの波動の活動範囲しか知覚できないからです。(P128-129、『音の神秘』ハズラト・イナーヤト・ハーン著、土取利行訳、平河出版)



スーフィーの伝統にはラックという、東洋のスーフィーの間に今もなお広く行きわたっている。霊的な恍惚をもたらす神聖舞踏があります。これはジャラール・ウッディーン・ルーミーが、かつて創造主を黙想していたときの体験に由来するものです。心にはっきりと、素晴らしい神のヴィジョンを見たルーミーは、あまりの感動に、全にして一なる創造主の内在力にすっかり吸収されていき、着衣のすそを輪のように広げ、手や首の動きで円を描きながらリズミックに旋回しはじめたのです。そして、この一瞬のヴィジョンの記憶がデルウィーシュの舞踏の中で称えられるようになったのです。……スーフィーは普段眠っている感情の部分を目覚めさせるために、リズムの訓練をし、心身のメカニズムにリズムをあたえます。意識的であれ、無意識的であれ、リズムに引かれる傾向はどんな人にもあります。(上掲書、P176-177)


Traditional Sufi Ceremonies Ensemble - Sufi Devran




   ズィクルについてアルジェリアのスーフィー教団であるアラウィー教団の四代シャイフ、ハーレド・ベントゥネス著『スーフィズム、イスラムの心』(中村廣治郎訳、岩波書店)より引用する。


独居は教育のための準備ともなりうるし、それはまた一種のズィクル(称名)、霊的ダンスであるイマーラないしはハドラを「味わう」ように弟子を導くことができる。デルマンゲムはその著『聖者崇拝』の中でそれを完璧に記述している。

まず両眼を閉じ、お互い身体を密着させ、右手を隣の人の左手の上に置き、指を十字に交差させて参会者は円をつくる。その中心にクトブ(軸)が立ち、リズムをとり、手をたたき、身を回転させ、一人ひとりの全体を監視し、全体のバランスがとれるようにある人の位置を変え、秩序が乱れそうになったり、疲労が大きくなった時には止めたりする。サークルの中心には一人ないし二人のムサミウーン(歌唱者)が立ち、神を讃えたり、預言者を讃えるための神秘主義的詩を歌う。一人ひとりの呼吸のリズムが少しずつ速まり、神の名(アッラー、Allah)がラー(Lah)となり、次にハー(Ha)となり、そしてハ(H)がもはや唇からではなく喉から出るようになる。足を上げることなく身体を上から下へと曲げたまま、漏れるのは心臓そのもからの息である。一様に聞こえるあえぎは、巨大な鋸の音のようなである。両眼は閉ざされ、顔つきは緊張の中で苦しみと喜びを表現している。


当面の目的は白紙の状態を生み出し、神名の中へと集中的埋没を生きることである。(P130)


Sufi Zikir, Sufi Dhikr... (Halvet-i Uşşaki)


Naqshbandi zikr


Special Session of Naqshbandi Silent Dhikr


クルアーン朗詠



最後にグルジェフのシニカルな教えから抜け落ちてしまったスーフィーの根本の信条を確認しておく。




わたしの心は、どんな形態をとることもできる。
修道僧にとっての修道院、偶像神のための礼拝堂。
ガゼルのための牧草地、信者のカーバ〔神殿〕、
『トーラー』や『クルアーン』の法典。
愛は、わたしが守る信条である。彼の駱駝たちが、
どこへ向かおうとも、愛は、それでもわたしの信条であり信仰である。



イブン・アラビー、『スーフィー』(P185)より重引き。