第1章 第17節 | 『パーシュパタスートラ(獣主派経典)』を読む



रौद्रीं गायत्रीं बहुरूपीं वा जपेत् ॥१७॥


raudriiM gaayatriiM bahuruupiiM vaa japet ॥17॥


【ルドラ神の[1]ガーヤトリー[2]、またはバフルーピー[3](マントラ)を唱えるべし[4]。】






[1]raudriiは、rudraがvRddhi化した「ルドラ神の」という形容詞の女性形である。後続のガーヤトリーが女性形であるので性を合わせているのである。ルドラ神は言うまでもなくシヴァ神の異名であり、咆哮する者、或いは暴風雨神の意味である。これはルドラ・ガーヤトリーのことであろう。つまり『タットプルシャを覚知して、願わくはマハーデヴァへと決定(けつじょう)せん。我等がそれをルドラ神が鼓舞せんことを』のことである。

[2]gaayatriiは、ガーヤトリー韻律のことである。ガーヤトリーと言えば、有名なサヴィトリ神のガーヤトリーことサーヴィトリー・ガーヤトリーがあるが、その解説はネットで検索すれば山ほど出てくるので、ここでは省略して、ガーヤトリー韻律についてだけ述べる。まずはアーサー・アンソニー・マクドネルの『Vedic Grammar for Students(学生の為のヴェーダ文法)』からガーヤトリーの項を訳出しする。

ガーヤトリー詩節は、3行8音節よりなる。


例えば、
a gni mii le pu ro hi tam
ya jJa sya de va mR tvi jam
ho taa ra Mra tna dhaa ta mam


長い音節を○ 短い音節を●で表すと
○●○○●○●●
○○●○●○●●
○○○○●○●●
となる。


※長い音節は、長母音及び二重母音を含む音節、或いは、短母音を含む音節でも、その後の音節に2個以上の子音が続く場合などが当てはめまる(M及びHも独立の子音と考えるが、有気破裂音kha,jha,cha,jha,Tha,Dha,tha,dha,pha,bhaは一個の子音と見なされるので、それだけでは長母音を作らない)。
それ以外が短い音節を作る(辻直四郎、サンスクリット文法参照)aの音節の前のe,oは短母音となる。

マクドネルに例はないが、試しにルドラ・ガーヤトリーを分析すれば、


ta tpu ru Saa ya vi dma he
ma haa de vaa ya dhii ma hi
ta nno ru dra Hpra co da yaat


○●●○●○●○
●○○○●○●●
○○○○●○●○
となる。


 比較的稀ではあるが、しかし十分に明確な変種のガーヤトリーは、韻律において強弱格のリズムを置くことにより標準形と異なる。同時に開始時の弱強格のリズムは、通常のよりもはっきりと発音される。



tu a Mno a gne ma ho bhiH
paa hi vi zva syaa a raa teH
u ta dvi So ma rti a sya


●○●○○●○●
○●○○○●○○
●○●○○●○●
である。


 サンスクリット詩人になりたい人はいないだろうし、サンスクリットの韻律については、私も殆ど門外漢なので余計な解説をするつもりはない。この解説を書いて、ようやく自分自身でガーヤトリーが理解できたほどであるから。簡単に言えば、八音節×三行の24音節の詩がガーヤトリーである。

[3]bahuruupiiは、bahuruupaの女性形であり、種々様々な形や種々様々な形相という意味である。bahuruupiiとなっているので、gaayatriiに接続するとしか今の私には想像がつかない。bahuruupaはルドラ神の11の相の一つでもあるが、bahuruupii gaayatriiというものを私は残念ながら知らない。それよりも様々に存在するガーヤトリー韻律の詩句のシヴァ神に関わる任意のどれかという解釈の方がより合理的なように思われる。カウンディリヤは、アゴーラ神の種々の相に対するガーヤトリーなのだと言っているが、そういうものがあるとは確認できなかった。いずれにせよ、ある特定のガーヤトリー詩句を唱えろということであろう。また今はナヴァラートリーの時期だが、bahuruupiiとは女神の名前でもある。マハーマーヤーとしての女神は様々な形態をとってこの世界に顕現する。そのように吉祥なガーヤトリーとなって現れた様々な神へのマントラを任意に唱えよということであろうか。【追記】ネットサーフィンしていたところここでのbahurupiiは、讃歌という意味のRc(女性名詞)に接続する可能性が高いということが後に判明した。。カウンディリヤはアゴーラのマントラと限定しているが、タットプルシャのガーヤトリー以外の残り四つのpaJcabrahma mantraのことであろう。『パーシュパタスートラム』の全文から判断してもこれが一番妥当な見解であろう。マントラマールガではバフルーピーはアゴラマントラである。

[4]japetは、japの願望法であり、ここでは命令を意味する。ジャパれということである。はっきり言えば浄化は、基本的に今の時代は、つべこべ言わずひたすらジャパっていればいいのである。ハイダーカーン・ババは24時間寝てる間もジャパってろといってるし、ラーマクリシュナの奥さんである私の敬愛する聖女サーラダー・デーヴィーは、一日10万回ジャパっていたということである。ジャパさえしていれば、とりあえず問答無用に無敵状態である。以前の繰り返しになるが。それは『バガヴァッド・ギーター』の最終帰結であり、ヨーガの最高の奥義である。1にジャパって2にジャパり、3、4にジャパって5にジャパる。これが最高のヨーガであり、それ以外は不要というのがカリ・ユガの時代の修業の在り方であり、この時代の特権である。





   続いて前回登場したソンバリ・ババの簡単なエピソードをババ・ハリダスの『Hariakhan Baba known unknown』から訳だししたので載せておく。


 カカリガートは、コーシ川沿いにあり、古い昔に聖者達に与えられた土地と言われている。ソンバリ・ババは、そこの巨大なバンヤン樹の根本に小さな庵を建てて住んでいた。




 彼は非常に厳格な修業生活を送っていて、夜には何人も彼の所に来ることを許さず、また女性が彼のアーシュラムに来ることも許さなかった。彼は外面的には大変厳格であったが、それでいて彼の心は非常に穏やかであった。



(19世紀のヒマラヤのクマオン地方アルモーラ(almora)の写真)

(筆者撮影の21世紀のクマオン地方アルモーラの写真)

(19世紀のクマオン地方アルモーラの写真)

(筆者撮影の21世紀のクマオン地方アルモーラの写真)

 かつてアルモーラから仕事でハルドワーニーに向かおうとしていた男が、途中、彼のアーシュラムに滞在したことがあった。この男は、足に骨肉腫を患い、その痛みは非常に激しいものだった。男は心の中でソンバリ・ババにこの痛みを癒してくれるように祈った。ソンバリ・ババは彼の思考を察して声をかけた。
「足を見せなさい」
 男は傷ついた足を見せ、もう数年に渡るであろう痛みを訴えた。ソンバリ・ババは、神聖な火(ドゥーニー)から灰を少しつまむと、男の病んだ足にそれを塗り込んだ。すると骨肉腫は消えて、男は嬉しそうに歩きだした。
 しかしながら、その後しばらくしてソンバリ・ババの足に骨肉腫が現れ、それは非常に痛みだした。男は、しばらくの間、痛みによる叫びを聞かされたのだった。それからまたしばらくするとソンバリ・ババの骨肉腫は治ってしまった。こうした方法で、ソンバリ・ババは自己の身体に男の病を引き受けて、癒したのである。




 毎週、月曜日(ソーンバーリー)に、ソンバリ・ババは彼のアーシュラムに来る数千人にもなる人々に食事を提供していた。その事から彼はソンバリ(月曜)・ババと呼ばれるようになった。その日になると近隣の村や町から大勢の人々が穀類や野菜、果物などを持参し、供え物として提供する為にやってくるのだった。ソンバリ・ババは彼の信者達に全ての供え物を振る舞うように伝えていて、自分のアーシュラムに何も貯えようとはしなかった。
 ある時、信者達は穀類や野菜をみんなで調理していたが、数時間に渡ってプーリー(インド風のパンのようなもの)を調理している途中、ギー(バター)が切れてしまった。ギーがないことにはプーリーを調理することはできなかった。このようなことが生じたところ、ソンバリ・ババはフライパンへと川から汲んできた水を注ぎだした。するとどうだろう、それはギー(バター)に変わってしまうのだった。しばしば、彼は川からギーの為に同量の水を借り受けたので、彼は人々に、川からギーを注ぐのだと伝えた。誰一人この不思議を理解することはできなかった。


 ソンバリ・ババは、よく彼の周りに坐っている信者達に、しかじかの者が家を出て、アーシュラムにあと2時間後に着くと告げるのだった。その為、信者達はその人の為に食事を取って置かなくてはならなかった。そして正確に2時間後に、その人が到着するのであった。
 またある時、数人の信者が、ソンバリ・ババにインドはいつ英国政府の植民地支配を脱するのか質問した。彼は「コインがパイサと呼ばれ、中央に穴があるものが鋳造される時に」と返答した。第二次世界大戦が終わり、イギリス政府はパイサという中央に穴の開いたコインを発行した。ちょうどその後に、インドは独立を達成した。




   1930年にソンバリ・ババはその肉体を去った。





 上掲の19世紀型ハイダーカーン・ババと並んだ写真のおじさんは、見れば見るほどソンバリ・ババのような気もするし、そうでないような気もする。これは結論の出ない問題である。いくら私が過去世でインド人だとしても、日本人の目から見れば、インド人の顔の違いを見分けるのは困難である。ところでハイダーカーン・ババなど遠い異国の人のように思っておられるだろうと思うが、実は日本にも大変ゆかりのある聖者なのである。何故なら本人曰く過去世で、日本人だったことがあると言っているからである。日本では翻訳されていない本から抜粋する。ドイツ人のG・レイチェルの『BABAJI message from the Himalayas』でこのように書かれている。《ババジは、時折、数千年前の過去世で、日本やネパール、チベットにいたことがあると言及していた》



(19世紀型ハイダーカーン・ババ)

(20世紀型ハイダーカーン・ババ)

 それではここで問題である。歴史上の日本人で誰がハイダーカーン・ババの過去世かお分かりになるだろうか?私はだいたい目星はついている。因みに空海や聖徳太子ではない。ハイダーカーン・ババはチベット時代の過去世では、ミラレパとして生きていたと本人が申告しているので、これをもとに考えれば答えは自ずから出るはずである。



   
   日本でミラレパに匹敵するヨーギンないし行者はいるであろうか?それは誰か?と自問自答すれば、それに該当すような超絶のヨーギンは一人しかいないはずである。日本で神話上の人を抜きにすればミラレパ臭い人、ハイダーカーン・ババ臭い人は私の歴史上の知識ではたった一人しか思い浮かばない。次回、私の仮説を述べるのでそれまで暇な人は考えておいて欲しい。過去世でハイダーカーン・ババは日本人だったことがあると言っているのだから、本人が気づいていなくても、我々日本人の中で恩恵を受けている人も実は多いのだろうと思われる、これを読んでいる人でも過去世で会ってる人がいるかもしれない。



(20世紀型ハイダーカーン・ババ)

(19世紀型ハイダーカーン・ババ)

(20世紀型ハイダーカーン・ババ)