今日の歌はこちら下矢印

お母さんへの思いを歌った、

素敵な曲です。

 

 

 

 

訪問系のお仕事をしている人なら

いつかは遭遇する、通称「ゴミ屋敷」

今日はそんなお話。

 

 

私が初めてゴミ屋敷に訪問をしたのは、

もう10年くらい前のことです。

当時、私は訪問看護の世界に飛び込んだばかり。

「訳アリなお家です」との前情報で訪問しました。

 

家の庭に入った段階で、すでに不安が・・・

冬だったのですが、屋根からは厚い氷となった

雪がせり出し、外壁は崩れてきていました。

 

玄関を入ると、昔ながらの土間のある家。

その土間は人が通れるスペースをのぞき、

両側には段ボールの山。

 

声のする方へと入っていくと、そこは台所。

台所は玄関よりもさらに段ボールが高く積まれ、

身長165㎝の私でも、その向こうの様子を

見ることはできない高さでした。

 

その奥から介護者である息子さんが

「あっちにいるよ」

隣の部屋を指さしました。

隣の部屋に入ると、畳が少しも見えない。

部屋中にいろんなものが置かれていました。

さらに電気は薄暗く、たばこの煙もあり、

昼間だと言うのに、目が慣れるまで

よく見えない暗さ。

 

この部屋のどこにおばあちゃんが

いるというのか・・・

だんだん目が慣れてきて、部屋の中を見回すと

部屋のすみっこに敷かれたお布団の上に

ちいさなおばあちゃんがいました。

 

一瞬「生きてる⁉」という不安がよぎりました。

 

近づいてみると、わずかに動いている。

あ~生きてた、よかった。

 

と思ったものの、おばあちゃんが寝ていた場所は

冷たくてしっとりと湿った古いお布団。

床ずれもできていました。

そこで、おばあちゃんは流動食を入れた

哺乳瓶を、口に入れられた状態でいました。

 

この時の光景は今でもはっきりと

覚えています。

訪問看護を始めてから、もっとも

衝撃を受けた瞬間でした。

この時は「私この家に訪問できるのだろうか」

と思いましたが、やればできるものです。

 

関わるうちに、実は息子さんは

お母さんのことをとても大切にしている

人だということがわかりました。

 

こちらからの提案も受け入れてくださり、

お母さんは介護用のベッドで

寝られるようになりました。

 

この息子さんは、私にいろんな

家族の愛の形があるのだということを

教えてくださいました。

この後、ゴミ屋敷も平気になりました。

人が見たらゴミ屋敷でも住めば都。

その方たちにとっては、都なわけです。

 

一見、理解できないようなことを

しているように見えても、

そこには家族の愛があるのだということも

知ることができました。

 

その後、お母さんは亡くなり、

息子さんも突然死されたと

風の便りに聞きました。

 

 

改めて思うことは、私たち訪問看護師は

患者さんやご家族によって、

育てていただいているということ。

貴重な経験をさせていただき、

また人生の最期の時間を

ともに過ごさせていただける。

こんなにありがたいことはありません。

 

一見理解しがたい状況を目の当たりに

したとしても、それを否定するのではなく、

相手の世界観を理解するよう努めたい。

そうすることで、心を開いて

もらえることがあるから。

 

こうして、今までの患者さんたちから

教えていただいたことを力として

これからも精進してまいります。

 

 

あなたがいるから

 

僕は今こうして

笑えているよ

 

あなたがいるから

 

苦しくても

顔を上げて

 

歩いているよ