今日は、ちょっと私のことを書いてみようと思います。

 

私が看護師になろうと思ったきっかけのひとつに

祖父の死があったと思います。

 

一緒に住んでいた祖父が亡くなったのは

私が12歳の時でした。

詳しいことはよく覚えていないけど、

たしかがんの手術で入院して、

そのまま病院で亡くなったように記憶しています。

今から、30年以上昔のことです。

祖父はおそらく、手術のあと意識が戻ることなく

旅立ったのだと思います。

呼吸器や点滴など、いろんな機械や管に

つながれていたことを覚えています。

 

そして、そんな祖父の様子をみていた祖母は

祖父が亡くなったあと、口癖のように

「私には管はつけないで。自然に逝かせてほしい」

と言っていました。

 

祖父の死からおよそ20年後。

祖母が同じくがんで旅立ちました。

 

でも、祖母はすでに手術などはできない状況だったこと、

そして高齢だったこともあり、

両親と相談して、祖母には告知しませんでした。

ギリギリまで自宅で過ごし、

最後は病院にお願いしました。

今の私なら、在宅で看取ってあげられたと思うので

それだけは心残りです。

 

祖父の最期の様子から、祖母が望んだ

「私には管をつけないで」

病院だったので、点滴はしていましたが、

それ以上の管や機械はつけませんでした。

それでも、いよいよ最期の時が近づき

心電図モニターはつけられました。

そして、忘れもしない出来事が

最期の最期で起こったのです。

 

 

呼吸停止のその瞬間に居合わせた私。

ナースコールで、呼吸が止まったことを伝えました。

すると、若い男性看護師が、

モニターの画面を持ってきました。

徐々に落ちていく心拍。

やがてその数字は0を表示しました。

 

 

次の瞬間、信じられないことが起こりました。

その看護師が言ったひとこと。

 

「はい、終わりです」

 

 

 

私は耳を疑いました。

人生の最期の瞬間に立ち会った看護師の口から

こんな言葉が出るなんて・・・

 

祖母とその場に居合わせた叔母(祖母にとっては娘)に

申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

病院で最期を迎えるってこういうことも

我慢しなくちゃならないのでしょうか?

こんな心無い言葉を口にする看護師に

祖母の旅立ちのお手伝いはしてほしくない!!

そう思って、ほかの看護師さんと一緒に

私がエンゼルケアをしました。

 

 

私の祖父母は2人とも病院で最期を迎えました。

でもその最期は、私が訪問看護という仕事を通して

関わらせていただいてきた最期とは

まるでちがうものでした。

お家で迎える「自然な最期」

そこには、病室にはない愛や

あたたかな空気が流れています。

 

そんな人生最期の瞬間に

立ち会わせていただくことができる。

なんてありがたいことなんだろう。

 

私は、祖父母にしてあげられなかったことを

今、患者さんにさせていただいているんだなあと

改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

 

今日は祖父母への感謝の想いをこめてこの曲をルンルン