患者さんと接する中で、日々いろんなことを考えます。

 

 

患者さんもいろんな人がいて、

たとえ同じ病気の人でも、

病気に対する考え方、受け止め方など

ひとりひとりちがいます。

性格も、それまでどうやって生きてきたのかも、

家族関係も、みんなちがいます。

 

私はその方が、少しでも痛みや苦しさが少なく、

病気がありながらも、日々の生活の中で、

ホッとできる時間や、楽しみを見つけて、

心穏やかに過ごしてほしいと願っています。

 

私たち医療者は、その方にこれから先、

どのような病状の変化が起こっていくのか、

残された時間がどのくらいあるのか、

経験から、ある程度の予測ができます。

 

なので、できることは早めに手を打っておきたい。

例えば、がんの末期の方で、痛みが出てきた場合、

がまんできないほどの痛みが出る前に、

お薬の調整などをすることで、いい時間を

過ごしてほしいと思います。

 

でも。

中にはそれを望まない方もいます。

 

「医療用麻薬は使いたくない」

「これ以上薬を増やさないでほしい」

「これ以上生きていてもしょうがない」

「早く楽にして」

「もう、人生を終わりにしたい」

「ほっといて・・・」

 

それはきっと、ご自身の病状を

受け入れたくない、認めたくない気持ちの裏返し。

 

「まだ、麻薬を使うほど私の病状は悪くない」

「私はまだ大丈夫」

そんな想いが伝わってきます。

 

この薬を飲んだら、きっと今よりも楽になるし、

せっかく帰ってきたお家で、家族と一緒に

いい時間が過ごせるかもしれないのに・・・

 

こんな時、無力感でいっぱいになります。

 

でも、こういう時には、私の声は

その人には届きません。

無理やり薬を飲ますこともできません。

私には待つことしかできません。

 

相手がSOSを出すまで。

 

「薬を飲んでほしい」

「少しでも苦痛なく過ごしてほしい

「家族といい時間を過ごしてほしい」

これはあくまでも私の願いにすぎません。

 

相手が、それ以上の関わりを望まない時は、

そっと見守ることしかできません。

 

どこかのタイミングで、必ずSOSの時が来ます。

どうにもならないほど、痛みが増したり、

動けなくなったりして、ようやくSOSを

出すことができる。

そういう人もいるんです。

「もっと早く手を打っておけば・・・」

これも、私が思っていることに過ぎません。

 

もう少し、上手な伝え方をしていたら

ちがう結果になっていたのかな・・・

そう思うこともあります。

 

ご本人の想いは大切にしたい。

でも、それは、その方を苦しめることにもなる。

だからといって、

私が考えられる最善の方法を押し付けることも

またその方を苦しめることになる。

 

人の命に向き合うとき、

人生最期の瞬間に寄り添うとき、

答えのない自分への問いを繰り返します。

 

「俺のわがままをきいてくれ。

 もしこれでだめだったら、

 ざまあみろって笑ってやってくれ」

 

 

 

これが最後の言葉になるなんて。

彼のわがままを受け入れたことが正しかったのか。

もう答え合わせはできません。

 

これからも、同じ問いを繰り返していくことでしょう。

それでも、どんな時でも相手を主語にして

最善の方法を探っていきたいと思います。

 

 

♪答えはきっと どんな誰でも

 自分で探すしかない

 

 簡単には「がんばれ」なんて言えないけど

 できるだけ心が寄り添えるように