白看採集帳 -2ページ目

白看採集帳

日々何気なく利用する道路に、ときどき古い標識が残っていたりします。
このブログでは「白看(しろかん)」と呼ばれる昭和25年から46年まで制定・設置されていた行き先を示す標識(「案内標識」)を中心に、道路上の特異点をぼちぼちとご紹介していきます。

20090929大阪府箕面市にて撮影

$白看採集帳
$白看採集帳

◯種類
101「箕面市」(単柱式)

◯設置されている道路
大阪府道・京都府道43号豊中亀岡線(豊中・箕面市境)

◯概要
大学の4年間を過ごした大阪府箕面市。確か昔、この辺に白看があったよなと記憶を頼りに
探したら、ありました。101。ちなみに豊中市側にはありません。現行の101もなかったように
思います。なお、ストリートビューで見ると、かなり「反った」感じで立っていることがわかります。
裏面は写真を撮っていないのですが、そのストリートビューから「井型」の変形版の
「二型」のようです。比較的新しい白看かもしれません。

◯考察
設置されている大阪府道・京都府道43号豊中亀岡線は1964(昭和39)年12月に
主要地方道豊中亀岡線として認定(大阪府道22号・京都府道41号)、その後路線番号の変更などを
経て1994(平成6)年4月に共通の43号となりました。
大阪を中心とする近畿圏は非常に白看が残っています。残存率は全国一かもしれません。
また特徴的なのはいわゆる「現道」に多いことです。
この白看も現道に設置されていたもの。
同じ意味の標識なら新規に立てるのではなく、既存のものを使って行くという方針でも
あるのでしょうか。それとも単にケチなだけ?(とは言え、路線改良などで消失の速度は
上がっているように思います)

◯国土変遷アーカイブ
・1964(昭和39)年5月(現府道43号線は南に一直線に伸びていますが、この当時は
永楽荘の付近から南西に進路を変えて、阪急豊中駅方面に伸びるこのルートが
旧道区間に当たります。現在でもこの道は府道指定されています。わかりにくいですが、
新道は建設途中。しかし、かなり路盤は完成しているようなので、この年の冬の府道指定(上記「考察」参照)は新道の完成に伴ってということかもしれません。現在白看が設置されている場所も、
この時に線形改良されたのかもしれません。ということは設置は昭和39年後半…?)
$白看採集帳

・1979(昭和54)年9月(新道完成後。白看が設置されている場所の道幅は、新道の道幅と
同一なのが分かると思います)
$白看採集帳

◯場所はこちら↓


◯全景はこちら
$白看採集帳
20120515夕刻の福島県矢祭町の国道118号線。

そこに現れたのは...
$白看採集帳

うわあああああ。裏面「口型」。これは真性白看間違いなし。

久しぶりの独自発見か?ひゃほおおお。

$白看採集帳

うーん。趣ありますな。
ちなみに白看の裏面は梁材(「リブ」というらしい)の組み方の違いから「井型」「口型」に大きく分けられます。先人の皆様の調査によると「口型」の方が古い物件とのこと。
私もこの理由の根拠をちゃんと探らなければと思っているところなのですが、
とにかく白看は白看です。



勢い勇んで、近くの福島銀行の駐車場に車を停め、
わくわくしながら表に回ってみると…










$白看採集帳

あれ?あれれ?
( ゚д゚)・・・(つд⊂)ゴシゴシ・・・(;゚д゚)・・・(つд⊂)ゴシゴシ・・・(;@Д@)!

現行…青看…???

そう。初めて見ましたが白看の梁材を再利用した現行案内標識。

がっっかり。


そして奇しくも標識には「もったいない図書館」と。
元の白看盤面ももったいないので、そのまま使っててもらえばよかったのに。。


なーんて日々そんなことを考えながら全国を巡っている、
そんなワタクシが書いているこのブログ、名前を「白看採集帳」に変更しました。
前の「zaicchanと道路」は取り敢えず書き始める時に仮に付けた名前で、
あとで変更しようかと思っていたのですが、あれよあれよという間に1年半が経ち、
実際白看のことしか載せていないので思い切って変えちゃいます。
無難な名前ですが語呂が良くなったから気に入っています。


それではこのブログをどれだけの人に届いているのか、
何か意味をもたらしているのか全く分かりませんが、
今後もよろしくお願いします!


20050505大分県玖珠町にて撮影

$zaicchanと道路

◯種類
103-B「耶馬渓?/院内」

◯設置されている道路
国道387号線沿いの畑の中(死亡…)
もとは国道387号線×大分県道28号森耶馬渓線の交差点

◯概要
7年前、玖珠町の童話祭に訪れた時に発見した1枚。
白看というものに今ほど執着心もなく、昔の道路標識が落ちてら、という感じで撮影しましたので、
写真もこれしかありません。

◯考察
落ちている場所とわずかに読み取れる文字から判断すると、上段に書かれている場所は「耶馬渓」でしょう。
また下段「院内」を示す矢印が斜め上を指していることから、国道387号線と、大分県道28号
森耶馬渓線の交点に設置されていたものでしょう。
国道387号線は1975(昭和50)年4月に路線指定が施行されています。それまでは大分県道19号長洲玖珠線。
ということは、設置された当時は、お互いに県道同士の交差点だったと言えます。

◯国土変遷アーカイブ
・1976(昭和51)年9月(国道387号線昇格直後。Y字分岐の中心部分に設置されていたのでしょう。
おそらくこの空中写真が撮られたときも。嗚呼。合掌。)
$zaicchanと道路

◯場所はこちら↓

20100829/20101219東京都町田市にて撮影

$zaicchanと道路
↓雑草刈り取り前
zaicchanと道路

◯種類
103-A「調布圣由東京/府中/日野」(複柱式)

◯設置されている道路
東京都道18号府中町田線×東京都道・神奈川県道19号町田調布線「井の花交差点」

◯概要
川崎に引っ越してきた当初撮影した白看。真夏に撮影して雑草に埋もれていたのですが、その冬に
周囲の草がキレイに除草されていたので再撮影しました。

◯考察
「町田市 交通安全都市」と表記があることから、この白看は町田市が独自に設置したもののようです。
かつては市内にいくつか同じようなタイプのものが設置されていたそうです。
ちなみに町田市が交通安全都市に制定されたのは、こちらによると、昭和37年2月。
設置はそれ以降であることは間違いありません。

ちなみに裏面はこちら。
$zaicchanと道路
「口型」でもなく「井型」でもない、「鉄板一枚型」です。これは数は少ないと思われます。
この辺からも標準的な白看ではないことが伺えます。

◯国土変遷アーカイブ
・1961(昭和36)年10月
この井の花交差点のY字路は戦前に撮影された空中写真とほとんど変化がありません。
$zaicchanと道路

・1975(昭和50)年1月
周囲はかなり宅地化されました。
$zaicchanと道路

◯場所はこちら↓


◯全景はこちら↓
$zaicchanと道路
20080815長崎県諫早市/佐賀県太良町県境にて撮影

$zaicchanと道路

◯種類
102「長崎県」(複柱式)

◯設置されている道路
国道207号線旧道「友尻橋」

◯概要
有明海沿いを走る国道207号は県境となる今里川を友尻橋で渡ります。
この白看は長崎県側の親柱の側に立っています。
行政区分で言うと、長崎県側は、現在諫早市ですが、2005(平成17)年3月までは、長崎県小長井町。
もしかして101「小長井町」も最近まで残っていたのかもしれません。
一方佐賀県側は1955(昭和30)年に発足した太良町。残念なことに佐賀県側に標識はありませんでした。
長崎県側から佐賀県側を見るとこんな感じです。
$zaicchanと道路

ぽつねんと立つ複柱式の白看はとても「それらしく」雰囲気があります。
長崎県の「崎」の字のつくりにも非常に味わい深いものがあります。
経年変化でしろというよりは青緑っぽくなっています。サビも激しく、もしかしたら
海風の影響があるのかもしれません。

◯考察
国道207号線は1953(昭和28)年に2級国道佐賀諫早線として制定されました。
また、往時をしのばせるものとして、白看の足下にはこんなものも立っていました。
$zaicchanと道路
この友尻橋自体は昭和12年3月架橋と親柱にあります。現在、ここには海側にバイパスがあります。
バイパスの橋の竣工を調べれば、少なくともこの道路の現役年はわかるのですが、
当時はそこまで意識的ではなく…もったいないことをしてしまいました。
というわけで、頼りになるのは「国土変遷アーカイブ」です。

◯国土変遷アーカイブ
・1973(昭和48)年6月(現在のバイパスや新道の橋はまだなく(もっとも工事は始まっている)、
友尻橋が現役の国道だった頃)
$zaicchanと道路

・1975(昭和50)年2月(バイパスの建設が進み、架橋間近。前後の道の拡幅も進んでいるようだ)
$zaicchanと道路

・1979(昭和54)年9月(バイパスが完成して、友尻橋は旧道化した)
$zaicchanと道路

ということで友尻橋現役は昭和50年代前半まで。この白看が設置された年代は定かではありませんが、
白看末期にバイパス工事が始まったことを考慮に入れれば、少なくとも昭和40年代前半以前
ということになるのではないでしょうか。

◯全景はこちら
zaicchanと道路

◯場所はこちら




20120422神奈川県横浜市神奈川区にて撮影

zaicchanと道路
◯種類
103-B「恵比須町/首都高速」(オーバーハング式/テーパーポール吊り下げ/2点支持)

◯設置されている道路
市道(神奈川産業道路と国道15号との連絡路)

◯概要
おなじみ「新子安の白看」。立体交差する“第一京浜”国道15号と市道の神奈川産業道路の
連絡路、ループ橋状になっているアプローチのR15側の入り口に設置されている。
「恵比須町」は神奈川産業道路の終点の埋立地で昭和電工などの工場がある。
ちなみに埋立は昭和初期に起工、町自体は1933(昭和8)年に新設された。
また「首都高速」は、首都高速神奈川1号横羽線で子安入口が最寄りインターである。
またこの子安入口の近くには103-Cタイプの白看も存在している。以前の記事を参照されたい。
また以前はすぐ側に巨大な103-2紺看も存在した。

◯考察
手がかりとなるのはいつ立体交差が出来たか、でしょう。
東海道本線、京急本線、国道15号を跨ぐ橋の名前は「新子安橋」。
橋名板には昭和43年3月竣工とあります。
$zaicchanと道路
また、首都高速横羽線の子安入口の開通は昭和43年7月。
どうやらこの白看はこの時期に設置されたものと見て間違いなさそうです。

◯国土変遷アーカイブ
・1977(昭和52)年11月(ほぼ現在の様子と変わらない)
$zaicchanと道路

・1966(昭和41年)7月(首都高開通・新子安橋竣工の2年前。既に用地買収が始まっているのか、
現在アクセス路のループ橋が出来る場所は大きな空き地になっている。首都高の用地も既に工事が
始まっているようだ)
$zaicchanと道路

◯全景はこちら
$zaicchanと道路

◯場所はこちら
20100811埼玉県秩父市にて撮影/20120504再訪・写真差し替え
$zaicchanと道路
◯105「中津仙峡」(単柱式)
◯国道140号線
◯秩父方面から来ると秩父市大滝(宮平)で中津川沿いのルートと秩父湖沿いのルート、
二手に分かれますが、その分かれ目となる交差点に設置された白看。変色の感じ(「白」というよりは「灰色」、そして「FAIRLYLAND」という英訳の充て方からしてかなり古いものではないかと想像されます。)
また、全景を見て頂けるとわかるように、土台がコンクリート塊であることも評価点です。
◯表示される「中津仙峡」(中津峡・中津川渓谷とも言うそう)は紅葉の名所。現在はこの先に1969年着工、2008年竣工の「滝沢ダム」があり、この140号線にも大幅な旧道区間があります。
1953年5月に二級国道甲府熊谷線として認定されたこの路線、65年4月に一般国道140号線に指定変更。
この白看はもしかしたらこの時期のものかもしれません。

◯全景はこんな感じ↓
$zaicchanと道路

◯場所はこちら↓
20101121福島県西会津町・新潟県阿賀町境界にて撮影
$zaicchanと道路
◯104「平/野沢」102「福島県」(オーバーハング式/鋼管柱吊り下げ/2点支持)
◯西会津町道宝川・鳥居峠線(旧国道49号)
◯全国に白看は何本くらい残っているのでしょうか。おそらく発見され、ネットなどで
 世に出ているだけでも100本は下らないと思います。その中でも特に有名・著名な物件というのが
 存在します。それでは有名なものとそうでないものの差はどこにあるのでしょうか。
 道路趣味者の興奮を誘う理由に「アクセスが難しい」ということが挙げられます。
 廃道になった峠の頂上にあったり(山王峠や加久藤峠)して、車でちょこっと乗り付けて
 ぱしゃっと写真を撮ることがかなわない場所にあるものは貴重です。
 そしてもう一つは「白看自体が珍しいタイプ」ということがあると思います。
 この「鳥居峠」の白看は後者にあたるのではないでしょうか。実は、福島側は廃道化している
 ようですが、新潟側からは車で難なくアクセス出来ます(ただし写真のとおり非舗装です)。

$zaicchanと道路

◯ご覧の通り、かなり大きな1枚ものの白看で、方面表示のプレートと102の県表示の部分が
 一体化しています。結構別々になっているものも多いです。現在は寂しい何もない、
 そして決して峻険でもない峠なのですが、この道路が紛れもなく幹線道路だったことを示す証拠です。
◯国道49号線は福島県いわき市から新潟県新潟市を結ぶ一般国道。
 国道制定は1953(昭和28)年。当初は二級国道115号新潟平線(なので方面表示に「平」とある)
 として制定された。その10年後、1963(昭和38)年に一級国道49号に昇格した。
 1967(昭和42)年の羽越豪雨で交通が寸断されたりと幹線道路にしては脆弱なこの道の
 一次改良は国道昇格と同時に進められ、鳥居峠は1968(昭和43)年、旧国道の北側に
 バイパスが施行されました。
 方面表示の「平(市)」は現在のいわき市の一部。1937(昭和12)年に市制施行、
 1966(昭和41)年にいわき市に合併。「野沢(町)」は西会津町の中心地。
 1907(明治40)年に町政施行、1954(昭和29)年に周辺の9村と合体し、西会津町に
 なっています。このことから考えるともしかすると、この白看は国道制定当初のものかもしれません。

国土変遷アーカイブで周囲の様子を見てみましょう。
・1976(昭和51)年
$zaicchanと道路
付近のそこそこの解像度の写真がこれしかないので、旧道のみの様子はご紹介出来ないのですが、
バイパス化しておよそ8年経過しても鳥居峠の旧道ははっきりわかります。

◯全景はこちら
$zaicchanと道路

◯場所はこちら

20090614鹿児島県鹿児島市にて撮影
$zaicchanと道路
◯105「鴨池公園」
◯鹿児島県道20号鹿児島加世田線
◯ここは鹿児島市の中心部から南におよそ3キロの鴨池地区。鹿児島市内から指宿方面に向かう
 途中にかつてこの白看はありました。
 白看が示す「鴨池公園」はこの場所から東へ(海側へ)およそ1キロの場所にある多目的公園。
 1972(昭和47)年の太陽国体に合わせて整備されました。先行して1970(昭和45)年には
 鹿児島県立鴨池野球場、2年後にはメイン会場となる鹿児島県立鴨池運動公園陸上競技場が
 公園内に開場しています。
 というわけで、設置時期は白看末期、昭和46年前後ではないかと思われます。
◯ちなみに太陽国体の開催はは鹿児島のインフラ整備を加速させました。主なものとして…
 ・鹿児島本線の熊本以南の電化、および複線化
   ※1970(昭和45)年川尻-鹿児島駅間の完成をもって全線電化
 ・九州自動車道の薩摩吉田IC-加治木ICの建設。 ※1973年
 ・鴨池地区にあった鹿児島空港の溝辺町への移転。 ※1972年
 そして、これら競技場の建設のために市内のシラス台地が切り崩され、海岸が大幅に
 埋め立てられました。それではおなじみ国土変遷アーカイブを見てみましょう。

・2011(平成22)年
$zaicchanと道路
球場と陸上競技場を中心にした今の鴨池公園の様子です。競技場の東側に見えるのは補助競技場と
庭球場です。

・1975(昭和50)年
$zaicchanと道路
国体終了後の鴨池公園周辺。2011年には商業地になっている与次郎ヶ浜や、
官庁街になっている鴨池空港の跡は更地になっています。

・1967(昭和42)年
zaicchanと道路
国体開催前。鴨池空港はまだ現役で、滑走路が見えています。すぐ側は住宅地でしたが、
離発着の時の騒音は相当のものだったと聞きました。与次郎ヶ浜の埋め立てはこの前年、
昭和41年から始まっています。既に埋め立ての基礎は出来ているようです。
白看が立てられる側にある野球場は、1928(昭和3)年に開設された鴨池市民球場。

◯全景はこちら
$zaicchanと道路

なおこの白看は2010年頃撤去されて現存しません。
かなり街中に存在して貴重だったのですが(そして私がかつて住んでいたところから非常に近いところに
あったので)残念です。

◯場所はこちら





20101121福島県猪苗代町にて撮影
$zaicchanと道路
◯103-B「裏磐梯/49会津若松」(オーバーハング式/鋼管柱吊り下げ/2点支持)
◯猪苗代町道(旧福島県道324号猪苗代スキー場線)×猪苗代町道(旧国道115号線)
◯福島県猪苗代町字芦原。変哲もない細道の交差点ですが、ここには白看を代表する特異白看が存在
 します。写真を見てわかるように国道表示(おにぎり)が地名と一緒に表示されています。
 しかも「会津若松」という長い地名故に、おにぎりの一部が欠けているという変わり種。
 現存状態が非常に良い物件で、矢印の赤色も、文字色の青色も鮮やか。
◯しかし、こんな細道にオーバーハング式の立派な白看が立っているのは何故でしょうか。
 おなじみ国土変遷アーカイブを見てみましょう。

1963(昭和38)年
$zaicchanと道路
あるサイトではこの白看が立っている路線を旧県道7号だとしているものがありましたが、
衛星写真で道路の太さをを見れば一目瞭然で、この道は猪苗代スキー場へのアクセス路だったのです。
猪苗代スキー場は県営のスキー場として昭和23年にオープン。
スキーブームの昭和30年半ばにはゲレンデやリフトが整備され、町はスキー景気にわいたそう。
確かにこの白看がある手前にもスキー客用の宿泊施設がいくつも建っていました。

1976(昭和51)年
$zaicchanと道路
13年後には県道7号は新道が完成し、屈曲した路線は直線のルートに修正されました。
それに伴い、猪苗代スキー場へのアクセス路も県道7号線とつながり、この白看が立っている
道路は旧道化(ただし厳密な旧道ではないので裏道化)しています。

◯全景はこちら
$zaicchanと道路

◯場所はこちら