103-B「久留米/杷木」 | 白看採集帳

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日々何気なく利用する道路に、ときどき古い標識が残っていたりします。
このブログでは「白看(しろかん)」と呼ばれる昭和25年から46年まで制定・設置されていた行き先を示す標識(「案内標識」)を中心に、道路上の特異点をぼちぼちとご紹介していきます。

20070910福岡県うきは市にて撮影(201208消滅確認
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◯103-B「久留米/杷木」(オーバーハング式・テーパーポール吊り下げ・2点支持)

◯設置されている道路
旧国道210号線(現福岡県道106号朝田日田線)×福岡県道52号八女香春線

◯概要
この白看も「昔の自分を悔やむ」物件。いつか再撮影すればいいや(実家からも近いし…)と思っていたら、いつの間にか撤去されていました。2007年当時の自分は、まだそれほど白看に執着していなかったため、写真も1枚しか撮っていません。

さて、後悔の念を連ねても仕方がないので、写真から考察することにします。何と言っても特徴は白看らしい“誤記”です。下段の地名「杷木」は「はき」と読むのですが、アルファベット表記が「HAGI」になっています。心配になって調べてみましたが、明治22年4月の村制以降、読みは「はき」のようです。白看のアルファベットには誤記されてるものがいくつか見られるのですが、当時はそれほど誰もがアルファベットの表記を出来るということはなかったのでしょうか。

また杷木の「杷」の字の木偏も特徴的なタイポグラフィーです。

◯考察
ポイントはこの白看が210号線の旧道に設置されてある、というところです。
現在の「浮羽庁舎前」交差点から日田側の浮羽町山北(出光のガソリンスタンドがあるところ)までは、現道よりも幾分か南を旧道は走っています。少なくとも新道への切り替え以前に白看は設置されているはずです。
また国道210号は1953(昭和28)年5月に二級国道210号久留米別府線として指定され、1965(昭和40)年4月に一般国道210号線となっています。

それでは、国土変遷アーカイブで新道切り替えの時期を考察してみましょう。

・1976(昭和51)年9月(交差道路の様子は現在とほとんど変わらない)
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・1967(昭和42)年4月(上記写真の10年ほど前。交差道路の様子はほとんど変化がない)
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・1965(昭和40)年6月(一般国道になった頃。2年後の写真と比べると新道の沿道に家屋などがあまり見られない。写真の画質が悪いが、やけに新道が白っぽいのは工事中だからかもしれない。)
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・1962年(昭和38)11月(新道は存在しない。)
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☆というわけで、この白看が設置されたのは国道制定後の1953(昭和28)年から新道開通前の1965(昭和40)年頃の間と推測されます。

設置されていた場所はこちら↓


◯1枚しかない引きの写真はこちら(街灯が重なるように設置されていた:もしかして夜間の照明の代わりにしていたのかもしれない)
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