その様を言葉に出してもらい、認識を高めていただくことをしています。
①見える動きに集中=視覚の参加
↓ 装具を麻痺していない側に装着のお話とは少し離れます
ペタンの音と、打ち付けた効果の強さがアンバランスですが、強調したいがためですw
親の仇のようにやってるわけではないですからその点、ご理解をお願いします^^;
※あくまでも私が動きをサポートしながらで
ゆっくりと床に足の裏を打ち付けて出てくる音を聞いて、
声に出していただきます。
②聞こえる音に集中=聴覚の参加
麻痺してない側の手で麻痺側の大腿や膝に触れて、
手で触れている感覚や
触れている手が動く感覚を
声に出して認識していただきます。
③触覚に集中 =表在感覚の参加
④運動覚・位置覚に集中=深部感覚の参加
「麻痺した半身だけを動かして!」
というのは以前に記載したアウェイの極地ですね。
どの感覚も使ってない感じがします。
歩いているときに
「足をしっかり振り出して歩いて!」
というのも酷な言葉になるかもしれないと、個人的に思います。
※もちろん、いけるようになれば
(許容範囲内で)容赦なくレッツらごーですが。
↑足をしっかり振り出すのは、
支えている側の脚や体幹のための訓練などとして重要です。
足を振り出すようにする活動が、より高次の動作、又は より低次の動作を
効率的に または強制的に 使役する「呼び水」となり得ます。
足を振り出す練習…という見た目と、ちと違う世界もあるように思います。
今回の図で書いているのは、
麻痺していない側の感覚だったり
麻痺を受けていない感覚系を積極的に参加してもらうという事でした。
「関節の感覚じゃない→関節の動きには関係ない=訓練関係ない」じゃなくて
「関節の感覚じゃないけど、関節の動きにまつわる重要な情報」。これです。
麻痺の影響を受けていない情報を利用して、
麻痺している動きを探ろうとする姿勢が重要です。
脳の中で、一つのことを形成している構成要素が全て揃っていない場合でも、
他の要素が引っ張り上げてくれて
うっかり思い出したり、
うっかり分かるようになる …という瞬間があります。
治療者は、それに助けてもらうしかないと思っています。
それを何というかといえば…治癒能力、でしょうかね。
…患者さんご自身がそれに助けてもらうべきだと思います。
遠慮する必要のない相手…自分自身の、能力なんですから。
治療者は、
助けてくれるありがたい治癒能力が発動される環境を提供させていただく
というお助けの仕方しかないのかあと思います。…どうでしょうか?
感覚の経路をフルに使い倒して感覚系をフル回転させるのと、
例えば歩行で足をセラピストに蹴りだされて足の振り出しにする訓練と
何が違うでしょうか。
後者は感覚を、センサーを殺すことになりかねないと思います。
大腿骨小転子と坐骨結節あたりで介助すれば
骨盤での荷重感覚を促しつつ全身のハンドリングが結構いけることに最近気づきました。
今更かよw って声が聞こえそうですが、一人でチマチマやってるんですみません^^;
そもそもの最初 ①は → コチラから
次回の ⑥は → コチラから
それぞれ旅立っていただけます^^
