先日、月凪(ルナ)が虹の橋を渡った。

ルナが月へと還った夜は、穏やかな…凪いだ月夜だった。

 

 

ルナは我が家が猫沢山のにゃんこ屋敷になるきっかけとなったいわゆる、”はじまりの1匹” で、

我が家の女王にしてその後、我が家に来る後輩猫たちの母親代わりとなって育ててくれた優しくてとてもお利口な優等生だった。

人を疑うことを知らず、家族となったその日から左衛門佐の腕に抱きついてスヤスヤ寝てしまうような…そんな子だった。

女王として我が家の猫社会の規律をつくり、みんなが仲良く暮らせるようにしてくれたのもルナ。

クーデターを起こし、みんなを恐怖のどん底に陥れた真丸(マル)を倒して改心させ、我が家で争いは許さないという断固たる姿勢を見せてくれた。

おかげで我が家では9匹の多頭飼いでありながらそれ以降、猫同士の関係に悩んだことは一切無かった。

 

家族となった日。まだ生後三か月の仔猫だった。

 

最後のルナ。この2時間後、ルナは虹の橋を渡った。

 

ルナには、

 

「もしまた戻ってくる気があるなら今度は茶トラに着替えておいで。」

 

そう言い聞かせておいた。

ウチには今、キジトラ(こざる)、サバトラ(アクア)、クロトラ(真丸)、シロトラ(だるま)がいるので

あと茶トラが揃えばトラ猫コンプリートだからだ。

ルナは本当にお利口な子なのできっと左衛門佐と嫁さんの言ったことはわかったはず。

 

飼い主に本当に愛されて空へ還った猫たちは毛皮を着替えてまた飼い主の元へ戻ってくることがあるという。

そんな話を、猫を飼っている人なら聞いたことはないだろうか。

左衛門佐もずっと以前からそんな話を知ってはいたものの、

どちらかというとロマンチストでありながらも現実主義者なのでもちろん信じてはいなかった。

我が家に、”睦月”という猫が現れるまでは。

 

睦月は我が家に7番目に来た猫で、サビ柄のメス猫である。

 

左衛門佐が溺愛するサビ猫の睦月。

 

我が家は多頭飼いなので訪れた来客から、

 

「たくさん居て大変だね。どの子が一番可愛いの?」

 

と聞かれることがある。

多頭飼いしてる主さんならわかると思うが、可愛い我が子に順位など無い。

どの子も等しく可愛い。

しかし左衛門佐はそうした質問をされたとき、いつも即答でこう答える。

 

「睦月。」

 

もしサビ猫の主さんがいたら本当に気を悪くしないでもらいたいのだが、

じつは左衛門佐は以前、あまりサビ柄の猫が好きではなかった。

だって醜い言い訳をさせてもらうがサビ柄って古びた雑巾みたいでみすぼらしいんだもん!!(土下座して謝ります。本当にごめんなさい。)

当時の左衛門佐は見た目の可愛らしい三毛猫とか茶トラとか、メタリックシルバーでカッコ良いサバトラとかが好きだったのだ。

でも日本人の美的感覚からすると当時の左衛門佐のようにサビ柄があまり美しくないと感じる人は少なからずいるのではないかと思う。

もちろん今では左衛門佐も”睦月のおかげ”でサビ柄は三毛の次に好きだ。

 

なので、嫁さんが睦月を我が子にすると言い出したときは本当に驚いた。

睦月は後に雪晶の母となる”なつ”、そしてこざる、アクア、だるまの母となる”シルバーちゃん”の2匹と姉妹と思われる子で、

まだ仔猫と呼べる大きさの頃に二度ほど左衛門佐は3匹で一緒に居るところを目撃したことがあった。

とある年の1月、我が家の玄関先に現れた睦月を見て左衛門佐は、

 

「おや?この子は…もしかしてあの3匹の姉妹のうちの1匹か。」

 

と思い、嫁さんを呼んだ。

玄関先に出てきた嫁さんは睦月を一目見るなり、

 

「とうちゃん。この子、ウチの子だわ。」

 

と言った。

左衛門佐は我が耳を疑い、内心、正気かこの女?この子サビ柄だぞ??

と思ったのだがやたらと人懐っこく、既に我が家に入る気満々のサビ猫を放り出す勇気も無く、こうして睦月は我が家の家族となった。(1月に来たので睦月と名付けられた)

だがこの時の左衛門佐は何故嫁さんが睦月を家族にすると言い出したのか、その本当の理由を全くわかっていなかった。

それはもちろん左衛門佐の目が節穴だったからなのだが左衛門佐も睦月と家族となり、ほどなくしてその理由を知ることになるのだ…。

 

睦月と暮らすようになってしばらくすると、左衛門佐はこの睦月という猫の行動が以前我が家に居た、とある猫の行動にそっくりであることに気付きはじめた。

いつも小走りに歩くところ、夜中に二度決まった時間にプワーン、プワーンと甲高い声で夜鳴きするところ、他のみんなと一人だけずれた時間にご飯をねだりに来るところ、耳元や腕の中で左衛門佐にくっついて寝るところ、食べかけのちゅ~るを途中で放り出しどこかへ行ってしまうところ、おもちゃで遊んでいるとどこからともなく飛んできてそのまま星の彼方へ消えていくところ…。

 

よくよく睦月をじっくりと見てみると性格だけでなく外観の特徴まで毛色以外、全てがそっくりなことに気がついた。

肉付きのいいパツンパツンの身体、首から後頭部にかけての形、上ではなくペタンと横に倒れる耳、おでこの広さ…、抱きしめたときの毛の感触と太陽の匂い…。

そして決定的だったのが、かつてその猫がしていたのと同じように薄暗い洗面所の一角で睦月が左衛門佐が来るのをじっと待っていたのを見た時、ついに確信した。

 

「みーちゃん?もしかして…お前なのか??」

 

未來(ミラ)は我が家に来た3番目の猫で病に倒れ、睦月が来る半年前に4歳の若さで虹の橋を渡った。

左衛門佐が心から溺愛した子で、こうして向き合うことが今でも辛いぐらい未來の死は無念としか言いようがなかった。

 

在りし日の未來。本当に可愛い子だった。

 

病に倒れた未來は一か月以上寝たきりの状態だったのだがある日突然立ち上がり、おぼつかない足取りで家の中を探索し始めた。

左衛門佐はもしかして病が快方に向かったのかと喜び、未來と一緒にロフトや3階のペントハウスまで家中をついて回った。

家中を見て回った未來は今度は外を眺めて鳴き始めた。

 

「今のみーちゃんには無理だから病気が良くなったらハーネス付けて外行こうね。」

 

それでも鳴き止まない未來を仕方なく抱っこし、10分ほど外を散歩した。

家の前まで戻ってくると未來はただ、じっと我が家を見上げていた。

その翌日、未來は虹の橋を渡った。

 

「ねえ、かあちゃん。睦月ってさ…、この子、みーちゃんにそっくりじゃない??」

 

そう言った左衛門佐を見て嫁さんはニヤリと笑い、

 

「やっぱりとうちゃんの目は節穴だね。わたしは来た瞬間にわかったけどね。」

 

最後の力を振り絞って未來が家中を見て巡ったのは、きっと戻ってくる場所を間違えないようにしようとしてたんだろう。

左衛門佐が思うに猫の生まれ変わりとか転生ってのは亡くなった子がそのまま別の猫に生まれ変わるんじゃなくて、亡くなった子の魂の欠片が別の肉体に宿るってことなんじゃないかな。

睦月が完全な未來の生まれ変わりだとまでは思わないけれども、でも睦月には絶対に”未來の魂の欠片”が宿っているとは思う。

そうでなければ説明のつかないことが睦月にはある。

未來が虹の橋を渡ってその半年後に睦月は来た。

空に還った魂の一部が欠片として別の母体の中に宿り、仔猫として産まれてまた我が家に現れるまでにやっぱり数か月かかるってことか。

 

 

ルナは未來と違い、左衛門佐の腕の中で静かに…穏やかに逝ったのできっと満足のゆく猫生だったに違いない。

なのでまた本気で戻ってくる気があるのかどうかわからないがもし戻ってくるなら来年の春が来る頃、きっと我が家の玄関先にひょっこりと可愛い茶トラの仔猫が顔を覗かせるだろう。

 

もしかしたら猫の転生とか生まれ変わりは飼い主が自分の心の傷を癒したいが為にそう思い込みたいだけなのかもしれない。

左衛門佐自身、睦月を未來の生まれ変わりと信じることで随分と救われたからだ。

亡くなってしまった子にはもう何もしてやることは出来ないが、生まれ変わった子にはまだ何だってしてやれる…。

でも逆の考え方をすると、空へ還った子が飼い主の心の傷を癒す為に毛皮を着替え、魂の欠片を宿してまた戻ってくるという考え方も出来る。

そういった意味では、穏やかに逝った子よりも無念の死を迎えた子の方が戻ってくる確率は高いのかもしれないね。

 

ルナ。

今までたくさんの子の面倒をみてくれて本当にありがとう。

もしその気になったらまた戻っておいで。

 

我が子のように育ててくれた泳空(エア)ちゃんと。