『まぼろしスイマー』 岡田奈紀佐

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だらだら書きます。

 

永遠を信じたことのないままに歩車分離式信号を待つ

 

永遠を信じていないけど、信号は待てる。

そりゃ信号くらい待てないとこの世界でやっていけないわけだけれども、

分離式信号って自分の番?のところが青になるまでを待つ間の時間ってまあまあ長い。

永遠を、本当は信じたいのかなあ。

信号待ちの時間も、永遠の一部だよなあ。

 

雨粒が波紋を起こす明後日になくなるはずの水たまりへと

 

明後日に無くなる「はず」の水たまり。

水たまりがなくなるということを私は考えたことがない。

感性のデリケートさを思う。

この歌も永遠ではないことへ目が向けられている。

ただ、水たまりができるところって、だいたいいつも決まっていて、

これも永遠の中の一部じゃないんだろうか。

 

ほかの歌も「昨日の重なり」とか「吹き抜けることのできない風」とか「ずっと求め続ける」とか。

永遠なんてそんなものあるわけない、と、

自分が傷つかないための防波堤的な否定をしながら、永遠を否定しきれないでいる。

ように感じた。

永遠に対する憧れ?いやこれは憧れじゃないな。

信じたいんじゃないだろうか。永遠を、ただ、そこに在るものとして。

 

これは、「Lifetime」という最初の章。

 

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「異界へと」というタイトルの章。

作者の実態が浮かび上がってくるような温度感があった。

本来であれば、作者と作品の中の「主体」は別物だと思って話さないといけないのかもしれない。

主体、として書きはじめたんだけど、どうもしっくりこなくて、作者に直した。

それが良いのか悪いのかわからないけど、私の個人的な感想として。

 

すすり泣くように聞こえる遠吠えは三軒先の柴犬のもの

 

異界と、作者がいる世界。

たぶん、作者がいうこの「異界」は、最近の漫画によくあるような設定の異界ではなく、

ほんのちょっとの、景色の違い。境界線。

自分のテリトリー外の、ほんの、ほんのちょっと外。

そのテリトリーというのは、あくまで自分の内面的なところでの。

 

猫、公園に遊ぶ子ども、カラス、犬の遠吠え、外階段。

そして逢魔が時とくればもう不穏。見事な不穏。

その不穏に飲み込まれてしまいそうな景色の中に、ぽつんと突っ立っている人が見える。

その人は花を持っている。

 

手放したものに手向けるためでなくただ飾るために花を購う

 

その、飾るためだけに買う花が、その人をこの世界に引き止めてくれているように思う。

あなたが、あなたのために飾る花を抱えて家に帰ってほしい。と思いながらページをめくると、

妙に生々しい現実世界が詠まれている。

 

この人はちゃんと自分の足で立っている。

決して穏やかとは言えないのかもしれない日常。

 

日常は苛立っていて、苦くて、理不尽で、からだがしんどいこともあって、

心がしんどいこともあって。

それでもちゃんと自分の足で立っている姿がうかぶ。

 

浴室の壊れたままの換気扇 だいじょうぶって笑って言える

 

今日はここまで。