昨日の振り返り。
行動からみていやすべき点と
昨日生まれてしまった、いやすべきもの
○食事に関して
体にそんなによくないと分かっているものを食べ続けるのは
どこかがゆがんでいる。
ただ、意図が正しい人が勧めるものを受け入れればいい。
そんなに肉は良くないとわかっているのに食べ続けるのは
どこかがゆがんでいる。気分を高揚させる楽しみとして
肉を食べる感じで。
○傷に関して
ちょっと時間が空いた時に、その心をある心で見直す。
人生の前半生を占めるあるテーマにおける
壮大な欲求不満、みたされない思い、それによる
自己評価に対する徹底的な攻撃。殺すぐらい。
その現状に対する神に対する激しい怒り。
改めて、重いものがでてきた。
それを癒す。人生後半をそのリベンジを「しなければ」
ならないという思い。
それが一つの自分の鎖。
それを捨てる。捨てられないのは、神への攻撃を
し続けるための道具を手ばしたくないから。
そう、「恨み続けたい」気持ちでいたのだ。
恨みをはらす、リベンジの過程が自分のエゴをつくって
いて、それが、なくなってしまう。
恨まなくなったら、「自分というエゴのパーソナリティーが
消滅してしまう。」
「今までの自分がなくなり、何をやっていたのか。」という
ことになる。それが怖いということがみえてきた。
そして、そのテーマに関する他人への羨望、ねたみ
いらだち。
全てを投げだして、捨ててしまおう。
こんなドロドロしたものを、
風船を青空に手放すように、手を離して、とばしてしまった
イメージが頭の中に浮かんだ。
○孤独に関して
人とのつながりを潜在意識下できっているから。
神とのつながりをきっているから。
ある一部の特定の人やシチュエーションの中だけ
自分が生きている、つながっているのを感じることができる。
パワーがなくて、そういう人やシチュエーションを求める。
飢えた犬のように。
つながってなくて、ひもじいから、暴れる。
とにかく、なんでもつながっていようとする意図が現れる。
それが、掲示板でもSNSでも。
そうではない。今この瞬間にもつながっているのだ。
神からのパワーは流れていて、他人とのつながりも
存在するのだ。ただ、感謝と祝福によって、それをつなげるだけ。
○ 意図に関して
スピリチュアル性の意図が、すべて、自分の発展
のために、存在すると、自分の発展のために、スピリチュアルな
要素を取り入れることになる。
つまり、自分の発展のために、神の力のエッセンスを使用して
発展に導く。
一方で、マスターは、スピリチュアルでいるために、その結果として
色々なことが結果として表れる。
つまり、神の意図する発展のために、自分が使いとして使って
頂く。その結果、世俗世界での発展がある時もある。
二つは大きな違い。
使われるという感覚がキーファクター。
○ コントロールされる存在、搾取される可能性がある存在への
怒り。
認められていない怒り。(受け入れられていない怒り。)
前世?で、搾取されていた怒り。
「信頼」感の欠如。
ここはさらにいやす必要がある。
すべての人がそうしようとしているわけではないし、
自分の過去からの反応だから。
拡大した能力
考え続けたから、意識は高くなった。
目標に対する意図にフォーカスできるようになった。
今日これから
使うべき意識の力。
○ 誰かへの復讐、あてつけのために、悲劇を演出しない。
誰にも悪い状況を見せる必要はないんだよ。
○ 神への復讐のために、何事も適当にやって、または
流れのままに力を抜いてやって
「神なら、この状況を救ってみろ!!」という神試しな
意識をしない。
悲劇を作り出して、同じ様に
「神ならこの状況を救ってみろ!!」という神試しをしない。
真摯に、真剣に丁寧に、やるべきことをやる。
反逆から、神試しをする必要なんてないんだよ。
「信頼」する。
○ 自分の向上のために、神の意図を利用する的な
感覚をやめる。
創造主への摩擦と反逆をやめて、神の使いとして
動く感覚を呼び覚ます。
あくまで、つかってもらうのだ。
作られているのだ。生かされているのだ。
○ そして、そのためには、
理屈でなく、理論でなく、気質から、創造主と同化
することを願う。
感謝。
○ 自分をコントロールするものへのトラウマからくる
徹底的な怒りを表現する場ではない。現世は。
以上な意識をより強化するには、とにかく、祝福と感謝が
まだまだ足りない。
自分の理想との創造との関係。
なにを創造するか。
みてしろとして、つかわせてもらう。
感謝、祝福しつつ、同化し、おりてくるものを待つ。
感謝祝福とともに。
こうして、文書をかけてありがとう。
物質的な欠落がなくてありがとう。
考えられる頭があってありがとう。
たくさんの才能があって、ありがとう。
人間的な魅力も与えてくれてありがとう。
同朋として尊敬できる人に会えてありがとう。
優秀な先人たちにふれあえる本の存在にあえてありがとう。
両親が気遣ってくれてありがたい。
健康でいさせてくれてありがという。
神の使いとして、つかってもらったとしたら?
自分の能力を最大限に発揮することによって、力を貸しなさい
とのフィーリングが。
最大限、楽しんで、遊んで、その神の気に近い気をまわりに
表現しなさいとのフィーリングが。
楽しくて楽しくて仕方ない。もう楽しすぎてどうしようもない
ぐらい楽しむこと。
(ん? なにかブロックが出てきた?
楽しんだら、アリとキリギリスのキリギリスになるという
声が。いずれフォーカスして直そう。)
こうして、書いている文書をかさねていくにつれ
書かせてもらっているという純度が高まっていく。
いや、高めていく。