昨夜、息子の宿題をやっているところをみてて、彼に鉛筆をかむ癖があることに気が付きました。

鉛筆を噛むといっても、歯形がちょっとつく程度ではなく、鉛筆を削っていない方の部分がかなり奥深くまで噛まれています。

内には、犬がいて床に鉛筆を転がしているといたずらして、かじってしまうので今までは、鉛筆を放置していて犬がいたずらしたものだと思っていました。

色々とサイトを調べてみると、鉛筆を噛む子は、何らかのストレスを感じていたりため込んでいたりしているとの投稿が多いこともわかりました。

実際なぜ鉛筆を噛むのか?と聞いてみたら、「ちょっとストレスが・・・」と話すわが子。


・宿題などをやっているときにテレビがついているとテレビに夢中になって全然進まない。
・朝の支度やちょっとした作業が遅く、何をするにも時間がかかる
・おとなしめで、自分の意見ややりたいことを抑えてしまう
・不器用で言われていることはわかるが、その通りに中々行動できない


世の中にはこういった子が多くいますが、わが子もその一人。

一番いけないのが、私自身の気分により、そういった”特徴”をやさしく受け止めてあげられずついつい感情的な怒り方をしてしまったりする。

昨夜も中々宿題が終わらず、見たいテレビも我慢し、眠い目をこすりながら半泣き状態で宿題を進めていたにもかかわらず、私もイライラした口調で注意したりしていたことが、鉛筆噛みの原因となっていた事は、今となって初めて気が付いた気がする。

子供に限らず現代社会はストレスを抱える要因があふれかえっています。
また、子供たちも家や学校での行動が制限されたり、いい子でいようと内々にストレスを溜めこんでしまっている子が多いと聞きます。

ギャーギャー騒ぐことで上手にストレスを発散できる子もいれば、その逆の子もいる。
うちの子は、「逆の子」にあたる。

気を付けていてもつい、自分の目線で接してしまうため心を傷つけてしまっている可能性も十部なる事もわかっている。

今朝のラジオで、「子供とのスキンシップ」という話題で、スキンシップの度合いにより子供の情緒に与える影響が大きいという話が合った。
言葉によるコミュニケーションだけでは、どうしても感情や意志疎通の相違によるすれ違いを起こしやすい。やはり、人も一生物であるから、「ふれあう」というコミュニケーションが一番安心するのだと今あらためて思います。

どうしても自分のことで手一杯となってしまい、スキンシップさえおろそかになりがちな私ですが、今日、息子が帰ってきたらどれだけ、コミュニケーションがとれるか注意深く接してみようと思う。
数年前から一つだけ、いつか実現したいものがあります。

家事や育児に追われる主婦(主夫も)が、週に1度でも
完全にOFFを満喫できる世界。

夫婦でうまく分担しているとか、家事を行いながらプライベートも
楽しんでいるという人はいると思います。

でも、一方でできない人もいます。

出来ない人は、ストレスを内に内に溜め、体調に異変すら
起こすこともあります。

「家事代行サービス」ってのもあるけど、その為に費用が掛かるのを
嫌う人もいます。
「自分の自由な時間という価値」v.s.「家事代行費用」でやはり、
自分を犠牲にしてしまう人も多いのです。

で、私に何ができるのか?

未だに、答えが見つかりません。

私自身にも生活があって、「ボランティア」というわけにはいきません。

「お金は本当の意味での自由を手に入れられる手段」という言葉がありますが
全くその通りです。

生活の心配をしないで良いだけのお金が手に入れば・・・
きっと、人の役に立てる何かを思い浮かぶのかもしれません。

あとは、頼りにならない国を頼らざる得ないのか?
今日の朝、目覚めた布団の中でこうつぶやいた。

・私は、とてもクリエイティブな人間だ
・偉大で価値があるものは簡単にやってこない。私は必要なことは何でもする。
・私はこの世で唯一無二の存在だ。誰も私のようにはなれない。
・私は本当に望むものは何でも成し遂げる能力がある
・世の中を変えてきたのは、個人である。そして、私もそうすることができる。

これまで7000億円も商品を売ってきたアメリカのコピーライター兼マーケッターの テッド・ニコラス著書『マーケティング戦術成功大全』詳しくはこちら)に乗っていた言葉である。

素晴らしいアイデアを生むためには、潜在意識を刺激し、積極的な感情を引き起こすことだそうだ。

早速、今朝、試してみた結果・・・・なかなか今日は調子が良く、
人と話す会話も、最近、見られなかったくらいいい感じであった。

で、肝心の「素晴らしいアイデア」が浮かんだかというと、まだ、1日目なのでそう簡単には
行かないのであろう。
引き続き、朝一番の「自己暗示」を続けてみようと思う。
いつもの通勤途中にあるケーキ屋さんは、いつみても人がいっぱい。
思わず、「一人当たり単価がxx円だから~」と意地汚い計算もしたりするショック!にひひ


「隣の家の芝は青い」という言葉があるように、他の人の環境に常に
羨ましさを感じてしまう。

思えは、自分の半生は他人に対して常に劣等感を抱き、他人の環境に
羨ましさを感じたり、妬みさえ覚えていたように思える。


・・・と、ちょっと暗い内容になったが、昨夜、前の会社の人のブログを見てたら
自分の性格や考え方の根底となった出来事を赤裸々に綴っていたので、思わず
影響をうけてしまって、ちょっと人生を振り返ってみようかと・・・音譜

まぁ、劣等感は本当に幼少のころから、色々とおもちゃを買ってもらえる友達と
古臭ーい家に住み、親は仲が悪く常に喧嘩、服は近所の子のお古ばかりで
色褪せしたものばかり。

でも、それはそれで受入れて”その時”を楽しく遊びつくしていたよなぁ。

でも、ある程度自我が目覚めてくると、「虚栄心」というものが徐々に顔を出しはじめ
他人に劣っていることを何とか隠そう、よく見せようとするようになってきた。

高校の頃なんかは、ちょっとでもかっこつけたくて、たいして上達もしなかった
ギターを片手に、「ギターリスト」を風潮し、後で聞くと恥ずかしいくらいの
ヘロヘロな音色を奏でていたり、「湘南爆走族」にあこがれ、悪ぶって、喧嘩を
吹っかけるふりをしながら、内心諤々としていたりと・・・

まぁ、虚栄心というより、当時の子なら皆もっていた若気の至りみたいなものだろうか?

書いている内に一つ思い出したのだけど、「虚言癖」もあって、
未だに、抜け切れていない面もありました。

思い出すだけで、ロスオリンピックの年、近所の店でコカコーラか
何かを買うとくじが引けて1等があたると金のヨーヨーがもらえたのだけど、
一向に当たらない。
ヨーヨーもいつまでたっても、所定の場所に置いたままだった。

ここで、「おばちゃん、この前のくじで1等出たんだけど、後で持ってくるから
ヨーヨーもらっていい」・・・と嘘をついて、貰ってしまった。
ある意味、泥棒に近い。未だに覚えているのだから胸のつかえとして残ったまま。
当然、店のおばちゃんも嘘だと見抜いていたのだろうけど、何も言わなかった。

そんなおばちゃんも、1年半前に交通事故で他界。

結局、謝れずじまいだったことを公開していることを今この場で再認識した。
実は他にも謝ることはあるけど、おばちゃんゴメンナサイ。

「劣等感」「他人への憧れ」

この2つは、これまでの人生においてもプラス方向/マイナス方向両方に大きな影響を
及ぼし続けてきた。

つづきは、その2で。

昨日お店に体験で台湾出身の女性が訪れた。
13時の約束が、時間になっても音沙汰ない。しばらくすると、電話がなり、「朝突然はが痛くなり、歯医者に行って、いま帰ってきたけど、いまから行った方がいい?」と聞かれたので、その時間に昼も食べず待っていた私は、「今からでも大丈夫ですよ。」と言ってあげました。

でも、結局現れたのは3時近くになってからむかっ

日本人は、たまにいる例外を除けば比較的時間に正確ですが、世界的にみれば、そちらの方が珍しく、昨日の台湾出身女性のように、約束時間はあくまで目安で守るものではないと考える人もいるのは、当然かもしれません。

そういう多様性は、ある程度認めざる得ないが、実際に周りにいるとムカつくだけなので、出来れば避けたいものです。


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