人としての距離感(山本周五郎を読んで)
ビジネスにおける、人としての距離感について。
久しぶりに、山本周五郎の短編小説「江戸の土圭師」を読んで感じ入ることがありました。
土圭とは時計のことです。江戸の時計職人のお話です。
物語りの佳境、主人公である時計職人がめでたく出世し、長屋の仲間で祝っているところ。
そこへ極貧生活が嫌で逃げ出した女房が、よりを戻そうと帰ってきたのです。
しかしその長屋の大家さんが、真っ先に、
「たとえ本人がうんと云っても家主の俺が不承知だ、
さっさとここを出て行ってくんな」
と怒鳴りつけます。
家主が、そこまで言うのです。
現代において、賃貸住宅の貸主と借主の間で、こんな関係はほぼないで
すよね。そこは契約者としての関係でしかありません。
そんなのは前近代的で古臭い・・・と言われるかもしれません。
でも、取引関係を超えた、人としての距離感、そこには現代のビジネス感覚
に大きく欠落した何かがあるように感じます。
もちろんそれを全肯定、美化するつもりもありませんが、考えさせられました。
・・・高い安い、メリット云々、その前に、人としての信頼関係。
最近、身近な取引でもそういうことを強く感じたことがありました。
ベースに信頼感がない相手とは、良い仕事はできません。
ゼニカネは無論大事ですが、それ以上に大事なものがあります。
(この物語、「酔いどれ次郎八」に収録。彼の職人話には佳作が多いです。)