◆相手は自分の鏡である | 営業改革コンサルトの活動日誌!

◆相手は自分の鏡である

先日書いた記事の続きです。


これは「営業」として、極めて大事なことだと考えています。



イチロー。


彼も、やはり食事に誘われた際に、好きなものを遠慮なく注文するそうです。


それは、仰木さんとか、複数の人が逸話として証言しています。


そして、その大先輩達は、それを「さすがイチロー」と評しています。



イチローは若い頃からそうだったようです。


もともとそれが出来るのがイチローのすごいところなのでしょう。


もちろんそれは、我儘とか、不遜とか、KYとかとは別次元のこと。


それらとの区別が判然としないと言う方は、もっと深く考えて欲しいと思います。




おごってやると言う相手に、自分が欲するまま、素直に食べたいものを言う。


そこには変な計算や遠慮はない。


あるがまま、欲するままをその人に素直に曝す。


そうやって、素直に自分を曝してくれる人には、相手も心を開きやすい。


また、そういう人は可愛がられやすい。


おごられるというシチュエーションに限られる話しではないですし、


ここが営業の極意といっても過言ではないと思います。


ま、もっともこれは、相手側に相応の「懐の深さ」がなければ通用しませんが^^



また、「あなたは懐の深い人ですね!」という扱い、振る舞いをされたら、


人は悪い気はしませんし、そもそも人というものは、


相手から扱われたように、反応してしまう


ものです。


だから、あなたが下手な遠慮をしないことで、相手の懐が広くなる、


ということでもあるのです。



逆に言えば、「不景気で厳しいですね」「お金、ないですよね」と


言われれば、おのずと、あなたへの財布の紐(心の扉)は硬くなって


しまいます。


実際、こういうメッセージを発しながら商売をしているところも


少なくありませんよね。



お客様は、あなたを映す鏡。


でもあるのです。



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遠慮、謙遜、配慮、そうした美徳と思われる心の中にも、実は、


よくよく注意しないと、己の慢心が潜んでいる。


邪(よこしま)な心が潜んでいる。


そこに気づき、「あるがまま」になること。


すると、よりラクに生きられるし、より人さまとも深く繋がることが出来る。


そういうことなのだと思います。



・・・今回の記事は、ある意味かなり難しい内容だと思います。


自分でもまだまだです。


また改めてお話しをしたいと思います。