◆自由な子供の心を持つ(良寛に学ぶ) | 営業改革コンサルトの活動日誌!

◆自由な子供の心を持つ(良寛に学ぶ)


以前、良寛についての記事を書きました。


その続きです。



他人と上手くコミュニケートする。


自分自分も人生を楽しむ。


そのために、自由な子供の心(FC)の部分は、とても重要。



ただし、そのFCとは、明るくて無邪気で、純粋だけど、自己中心的で、


幼稚な心。生まれたままの自由な子供の心。


それをあえて大人が、意図的に、厳しい覚悟の上で、


使うことが出来るようになることが大事なのです。


つまり、ナチュラルなFCではなく、意図的に発現させる子供の心。




たとえば現代社会で、平日の日の高いうちから、大の大人、たとえば


サラリーマンが公園で子供たちと野球をして遊んでいる(=決して、教えている


のではなく)・・・さらには、女の子達とフラフープやなわとびまでして遊んでいる。


それを見たら、あなたはきっと眉をひそめるだろう。


(いい大人が何ししてんねん)と。




それは今も昔も同じ。


いい年をしたお坊さんが、女の子とたちと、鞠をついて遊んでいる。


営業改革コンサルトの活動日誌!


良寛がやっていたのは、そういうこと。


それは、相当に”覚悟”が要ること。


並の大人であれば、ひと目を気にして出来ないこと。


もちろん良寛は、とても学もあったし、修行も積んできた人。


鞠つきに興じている良寛は、決して、ナチュラルなFCではないのです。


実際のところ、良寛はかなり真面目な人でした。


禅宗の、道元の厳しい戒律を、とことん守る。清貧な暮らしを貫き通しせた人。


よほどの意志の強さがなければ、とても続けられるものではない。


他の心の部分、CPもAも、きわめて高いと思われる。


でも、人に対しては一切、その心を用いない。意図的なFCのみ。


NPさえも使わない。


不思議に思うのだが、良寛は説法もしない坊さん。


ただただ、FCオンリーの姿を、人に曝し続けたのみ。


とても、おろかしく、子供じみた乞食坊主。



でも、自由な子供の心を使う人と一緒にいると、とても楽しいし、子供たちは


それを感じ取って寄ってくるのでしょう。


自然と懐つく。犬や猫もたぶん同じだろう。


上から目線ではなく、同じ地平に立つ。


その人をどうこうしようとせず、ただその時、その瞬間を心底、ともに愉しむ。


打ち解ける。




大人でも、そういう人だと、自然と周りに人が寄ってくる。魅力がある。人懐こい。


それは、営業をする身においても、とても大事な部分。


自然と相手もリラックスし、通じ合う。警戒しない。好きになる。


それは人間力として重要な部分。




本当の営業力を鍛えるには、幼稚園にでも行って、幼稚園児に好かれる大人に


なること。


まずは、こんなことから。 なのかもしれません。