◆私が営業コンサルタントになる前
なぜ営業のコンサルタントなのか?
トップセールスマンだったわけではない。
輝かしい業績を上げたわけではない。
宝飾展示会の販売。
10人ほどのマネキンを確保し、業者からの応援も仰いで
一社だけでなく数社が入り込んで、しのぎを削る。
ベテランの営業マンなどは、一人で売上はすごい金額。たいしたものだ。
自分は何をやったか?
売上は、来場者が来る時間帯は限られている。
ピークになると大変な賑わい。
観察していると、折角見ている客に対して、接客する手が足りずに、チャンスを逃がしている。
そこで、私は、接客以外の仕事、伝票を書いたり、包装したり、そういう業務的な部分を、
販売員ではなく、アルバイトを雇って、彼らにやらせることにした。
販売員はどちらかというと、そういう作業が苦手の人が多い。
一騎当千の武士に対して、鉄砲の三段撃ちで対抗したようなものですかね?
またある会場では、会場のレイアウトが主催者から提示されて、
割り振りや位置が決まってから、説明を受けていたのだが、
それが決まる前に、主催者に対して、図面を書いて、持ち込んだ。
ご参考までに企画を考えてみましたのでと。
結果、影響力を与え、売り場面積を増やすことに成功。
ライバル会社はかなり悔しがっていましたね。
主導権をいかに握るか?とうるさく言っていますが、これが原点になっています。
でももちろん失敗もたくさん。
一品もののデザインジュエリーを、売りたいがために値引きして売ってしまったり。
まさに、売り負け。
今から思えば、もっとやるべきことがあった。
でも自分が工夫の余地がたくさんあったという事は、それだけ会社には何もなかったという事。
その会社を辞めた理由。
3年目には、部長さんとかが居並ぶ営業会議にも出席するようになっていた。
月末に、数字を報告し、未達成だと、やり込められる。
でもそこには何も方法論はない。
数字を約束させられるだけ。
あるとき、頭にきて、対策数字を、きっちり予算どおりに書いて提出。
本当に出来るのか?と問いただされ、そう書かないと話が終わらないでしょ?
と。血気盛んですなあ~
かなり生意気だったと思います。
でもコンサルタントをはじめて、本当に、頭を使っていなかったことに気づかされた。
もっと考えて準備をすれば、もっと成果が挙げられることを。