長篠の戦に学ぶ経営
長篠の戦
よく経営書にも引き合いに出され、鉄砲の三段撃ちがそれまでの戦い方を変えた!
と言う話をよく聞きますよね。
実は、あの戦の凄いところはもっと別のところにある。
のです。
近年の発掘調査などを通じて分かった事。
それは信長は、あの戦いのために、平地に陣地を築き、馬防柵で敵を防ぎながら鉄砲を撃った
のではありません。
大掛かりな土木工事を行って堀を廻らして、山城を構築。
そこに鉄砲隊を配備した のです。
(黒澤監督の映画のイメージとはまるっきり違います)
つまり武田側からみると、
「野戦」のつもりが、いつのまにか「攻城戦」を戦わされていた わけで、
“戦いの枠組み”自体が大きく変わっていた
のです。
通常、城を攻める場合は相手の3倍の兵力が必要といわれています。
ちなみに城の防衛用の武器としての鉄砲の運用は、それまでにも雑賀衆などが使用して
大きな実績を上げており、信長はそれをこの戦いに持ち込んだものと思われます。
(もちろん鉄砲の連射は、信長が独自に編み出した戦法ではありません)
そして我々凡人からみれば、そんな大きな枠組みの転換などは、やはり捉えにくく理解しがたく、
だからこそ、見た目にも分かりやすい鉄砲の連射という「手段」だけが後世に伝えられた
のではないかと推察されます。
実際、発掘調査をやるまでは、これだけの壕が築かれていたことは、分かっていなかったのですから。
信長を知るには、経営的視点が不可欠。ゆえに面白い研究対象です。