とらわれた心は動けない
いかに千手観音とはいえ、もし、弓を持っているひとつの手に心が囚われてしまえば、
残りの999の手は、どれも役には絶たないだろう。
ひとつのところに心を留めないからこそ、千本の手が皆役に立つ。
なぜひとつの身体に千本もの手を持っているのか。
千本の手を持っていることがすごいのではなく、(一般人はそう思ってしまうが)
たとえ身体に千本の手があったとしても、【不動智】を身につけることが出来れば、
立派に使いこなせることを人々に示すために作られた姿なのです。
先日、古書店で一冊の本を買いました。
戦国末期から江戸初期を生きた、沢庵和尚が書いた 「不動智神妙録」の現代語訳。
昭和45年刊。
上の青字部分は、そこからの抜粋です。
この「不動智神妙録」は沢庵が、柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみ)に向けて書いたもので、
後世の日本の武士道精神にも多大な影響を与えています。
・・・と言っても、今回初めて読んだんですけどね^^
この書には、
心をとどめない。とらわれた心は斬られる。
そういうことが繰り返し述べられています。
この千手観音のたとえも、そうした脈絡で語られているものです。
あるがままに物事を捉え、心をとらわれず(感情を動かされず)、よどみなく動く。
それは、剣の世界だけでなく、すべてに通じる、極意。
ここで、私が好んで使う話をひとつ。
西部劇に出てくるようなガンマンの早撃ちで、相手に勝つ極意は、
相手より先に動かないこと。だそうです。
最初、えっ?と思いましたが、
相手が動き出した瞬間に、何も頭で考えずに ただ反応する方が、速い のだそうです。
面白いですよねえ。先に動き出した方が速く撃てそうなものですが。
これは、受動的の方が良いとかそういうレベルの話ではありませんよ、念の為。
自分の仕事においても、
あるがままに物事を捉え、心をとらわれず(感情を動かされず)、よどみなく動く。
これを日々実践したいものです。