なんの知識もないままに化学療法に突入していきましたが、その副作用は想像を絶するものでした。易疲労感、嘔吐、嘔気、味覚変化、食欲不振など、徐々に副作用が体を遅い、食事が食べられなくなった。ここで一番辛かったのが病院食。日本でも病院食は決して美味しいものではないかもしれないが、アメリカでは食欲がゼロの状態でも構わずピザ、フライドポテト、ハンバーグなどコッテリとしたアメリカ食が出てきます。とても病人に食べられるものではありません。結果、外から食べ物を少し持ち込んで食べることになりましたが、化学療法で白血球がほぼゼロまで減少しているため少し時間の経っただけの弁当などでも大腸炎になる危険があります。そして私もちょっとした油断から大腸炎を起こしてしまいました。健康な人がお腹をこわすのとは違い、白血球がゼロの人がお腹を壊すと簡単には治りません。突然腹痛が遅い、その後数日ベッド上安静を必要とされ、それをきっかけに真菌性肺炎、敗血症を併発。ICUへ送られることとなりました。熱は40度まで上がり、朦朧とする意識の中で左腕から感染源となり得るPICC line(腕から入れる中心静脈カテーテル)を引き抜かれ、右外形静脈にブスリと刺された末梢静脈accessがひどく痛みました。

抗生剤3剤、抗真菌薬3剤と薬ずけになりました。肺機能が低下しICUではベッド上安静、高濃度持続酸素を続けても酸素飽和度が90%前半という挿管ギリギリの状態が数日続き、幻覚、幻聴にも苦しめられ自分はもうここまでかという気持ちにもなりました。とにかくこれ以上私の力では何もできない。天命に任せようと思いただ時を過ごしました。正直この時の記憶は定かではありません。
幸い数日で肺炎は改善傾向に向かい寝たきりから、徐々に立ち上がり、歩行器を使って歩くリハビリを始めましたが、最初は立つことすらできず自分の体力のないことに愕然とし、絶望的になりました。私がもう少し年寄りであったら致命的であった事でしょう。

1週間程度のICU滞在で無事に骨髄移植の病棟へ戻ることができました。

病棟に戻っても、化学療法の影響か幻覚や食欲低下で回復には時間がかかりました。数週間経過し、漸く少し安定した気になってきた時に突然の嘔吐、腹痛。CT scanとlipase2800という結果から急性膵炎の診断を伝えられました。急性膵炎は医学の教科書では致命的な病気です。ただでさえ白血病なのにそれに急性膵炎を合併したらどうなるか。
自分はもう駄目だろうと思いました。家族や支えてくれる人たちは、気持ちを前向きに持てと励まされましたが、この状況で誰が前向きに考えられるでしょうか。自分がいなくなったら残る家族はどうなるのか考え、ただただ暗い気持ちになりました。担当医はすぐに薬剤性膵炎だと判断し、可能性のある薬剤を全て中止しました。その後しばらく絶食と成りましたが、幸運にも膵炎は徐々に落ち着いてくれました。