最後のブログから8ヶ月ぶりになります。突然病気にかかり長期入院し現在も治療中です。ようやくブログを更新する元気が出てきたので、少しずつ病気の経過を書いていこうかと思っています。

仕事も徐々に軌道に乗り始めた昨年6月、念のために受けた人間ドッグで悲劇の結果を受け取ることとなりました。担当医から、末梢血に未熟な細胞があり、血小板が非常に少ないので白血病の疑いがある。直ちに救急外来受診するようにと電話がかかってきました。言われてみると、最近ヒゲ剃りの傷から出血が止まりづらかったり、疲れやすかったり、思い当たる節がありました。すぐに救急外来受診し、白血病の確定診断を得て緊急入院となりました。当時白血病知識がなかった私は、漠然と白血病ということは命は助からないだろうと思い、妻と残される3人の子供の事を思い絶望的な気持ちになりました。
入院後骨髄穿刺の結果、病名はALL Philadelphia chromosome positiveでした。白血病の中でも最も寛解率の高いAPLであってくれと期待していたのですが、その期待は見事に裏切られました。
入院6ヶ月前から少しずつ痛み出していた腰痛が悪化し、身動きもとれないほどの痛みになり、看護師に痛み止めを依頼したものの、始めはタイレノールから、オキシコドンを試されましたが全く効果なく、その間数時間激痛はさらに悪化しじっとしていることすらできなくなりました。最後に強い麻薬系の鎮痛剤(Dilaudid)を静注してもらいすっと痛みが引きました。その後は、自分で必要なだけその鎮痛剤が使えるようなPCA(Patient controlled anesthesia)を使い、痛みはある程度コントロールすることができましたが、一刻も早く化学療法を始めてほしいと頼み、入院後数日で予定より1日早く治療を始めてもらいました。治療を始めた翌日には腰痛が全くなくなり、6ヶ月間原因不明で整形外科やカイロプラクティックへ通った痛みが、白血病由来の骨痛であったことがわかりました。
なんの知識もないままに化学療法に突入していきましたが、治療は予想していなかったほど過酷で長い道のりとなりました。治療開始数週間で髪の毛は全て抜け、味覚障害、食欲低下で食事が食べられなくなりました。日本人にとってアメリカの病院食は正に地獄で、選択肢も少ないし、内容もピッザ、ハンバーガーなどとても病人には食べられないものばかりでした。時々外から食べ物を持ち込むようになり、それが原因だったかもしれませんが、化学療法後で白血級がゼロの時点で大腸炎を合併し、その翌日肺炎、敗血症にてICUへ搬送されることとなりました。