カシンです。これは、アタシ(50代、男)の今週のブログ活動のあとがきです。2024-04-27 = 74hl 版。いつもお付き合いくださり、ありがとうございます。


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4/21 日曜日の午前中の時点では、今週、何を書くか特に決めてませんでしたが。非実在青少年の話へのしゃぼんさんのコメントで、その関連の話を書こうと思いつきました。

話の構成は
  1. 自分が小学生のころのマンガ
  2. 最近のプライベートゾーン啓発
  3. 強制ではなく児童本人の選択が大切
  4. ただし、それで児童が性行為を望んでいるように見えるなら、おそらくそれは大人の言い訳
  5. 児童性虐待の由来
みたいなのを、日曜夜の時点では考えてました。

おおむね計画通りに主に書きたかったことは書けたと思います。いろいろ追加したいことはありますが。

上の 4 の点をもう少し丁寧に書くと。「知らないことを知りたい」というのは当然の欲求で。子供の関心が性的なことに向くのは当然です。

でも、それを大人との性行為を望んでいる、と解釈してしまうなら、それは大人側の曲解です。大人側がそれを承知の上で、適切に行動しないといけない。そんなことでした。

2 の記事でも、すごく気になってるところをつくしゃぼんさんのコメントがあったので。3 と 4 の話を木曜日にして、水曜日には「性被害がトラウマになる」のは、ヒトの生理ではなくて、社会的な思い込みでは??? といった話を書きました。

そもそも現代社会は性をタブー視しすぎているとアタシは思ってます。「性」はもっと身近なことで、生死に関わる重要なことだけど、なんでもないこと、例えば「食」に近いようなものじゃないだろうか???

5 の金曜日については、あまりにも性犯罪が日常になり過ぎてるんじゃないか。恐れるあまりに、起きて当たり前、男が性犯罪者なのは不可避、っていう認識が、かえって事態を悪くしてるんじゃないだろうか。そんな話を書いたつもりです。

元々は、児童性虐待が現代社会で強く意識されるようになったきっかけについて書いた本を最近、読んだので、そのことを書こうかと考えてました。でも、まずはその前提となってる、児童性虐待を過剰に恐れている??? 現在について書くことにしました。

ちなみに、読んだ本の方は、米国の話で。数行でまとめると、1980 年代を通して福祉予算を削った際に、スケープゴート的に児童(性)虐待が強調されるようになった。実際は児童が直面する、より大きな問題は貧困で、ロリコンを取り締まっても根本的には解決しない。とも読める 1990 年代始め頃のまとめでした。
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お読みいただきありがとうございました。