カシンです。これは、アタシ(50代・男)が思うところを書くブログです。
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今週は (今の日本での)「児童の性虐待」について、考えていることを書いています。

言葉で書くことが、とても難しいと感じます。


「虐待」というのは、子供本人の望まないことを無理強いすることです。


ただ、子供本人も、成長の途中です。何を望み、望まないのかが分かるまでは、本人は選ぶことができません。大人は、子供が選べるように成長するのをサポートします


事実上、大人が代わりに選ぶ必要が生じる場合もありますが、子供が選ぶ力を失うような押し付けは無用です。


一方で、本当は望んでないことを、望んでいるかのように思い込ませることも、大人は避けたいです。


性虐待の文脈で言えば。性の発達していない子供は、そもそも性行為を望みません。だから大人と子供の性行為は自動的にアウトです。子供が望んでいるように見えたなら、それはおそらく大人の側の勝手な都合です。


例えば子供は愛される必要があります。それを大人の都合で性行為で代替するのは間違ってます。

一方で、知らないことを知る欲求には最大限、対応したいです。


子供を「個人として尊重」することが大切で。だから、子供自身の選択は大切にしたい。未熟な部分のサポートは必要です。しかし、子供の望みが大人の都合に左右されるような指導ではいけません。


大人には、そういう難しい舵取りが要求されると思います。それが大人の責任でしょう。単に「子供は大人の言うことを聞け」ではないはずです。
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お読みいただきありがとうございました。


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