カシンです。これは、アタシ(50代・男)が考えていることを書くブログです。
前回、トランスセクシャル MTF と、トランスジェンダー MTF との対立についてまとめました。
アタシ自身は、自身の肉体的な性の感覚と、自身の社会的な性の感覚とが別々にあるように実感されます。
そうだとすると、トランスセクシャル MTF の言う「性自認」と、トランスジェンダー MTF の言う「性自認」も、実は違うもので。もともと違う由来の、違う効果のものに、同じ言葉を使っているんじゃないだろうか。そんなふうに思えてきました。
つまり、トランスセクシャル MTF はトランスジェンダー MTF の話を聞くと、そんな「切り落とす」必要を感じないのに「性自認女性」なんて、そんなわけないだろう、と思う。
一方で、トランスジェンダー MTF は、「同じ」性自認女性なのに、トランスセクシャル MTF だけが優遇されてるように感じて反発する。
これは、「性自認」の仕組みが共通の一つだけ、っていうところが誤解で。「違うのに一緒にされてる」っていうトランスセクシャル MTF の感覚と、「同じなのにあっちだけ特別扱い」っていうトランスジェンダー MTF の感覚はどっちも半分正しくて、半分間違ってて。
現状では「違うものが違う扱いになってる」だけで。トランスセクシャル MTF とトランスジェンダー MTF 間の対立には、実は理由はないんじゃないでしょうか。
トランスセクシャル MTF のほうが「切り落とす選択」、という、他人からもわかりやすい指標があるために、先に認められて救済措置 (現状で十分かはともかく) に繋がっただけで。
「女性としてしか生きられない」トランスジェンダー MTF が、トランスセクシャル MTF の基準では判定できない。これは、もともと違うものなんだからそうなってる。ということであって。
どうしたら、トランスジェンダー MTF を、他人が納得できるように判定できるだろう。どうしたら、真に困ってるトランスジェンダー MTF を判定して救済に繋げられるだろう、というのが、現状の解決すべき問題で。
トランスセクシャル MTF は、そこの部分が解決されてて不公平、っていう不満は、トランスセクシャル MTF に向けるべき不満じゃないんだろうとアタシは思います。
「性自認」という概念の混乱から、そういう無意味な対立が起きてるんじゃないかとアタシは疑ってます。
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付け加えるなら、トランスジェンダー MTF については、アタシはそもそも「見分けて救済」方針自体、おかしいんじゃないかと疑ってます。
「切り落とす」医学的治療が必要なトランスセクシャル MTF と違って。トランスジェンダー MTF は、特別扱いが必要かどうか他人が特に判定するようなものじゃなくて。そういう人もいる、というのを一般認識にしていく話なんじゃないでしょうか。
この「特別扱いが必要ないように社会に組み込んでいく」というのが、「自分たち特定の集団を認めてくれ」っていう形で表れているのが、今の「多様性を尊重していく」時代の難しいところで。そこはトランスジェンダー MTF に限らず、「少数派」問題の多くに共通する部分と思います。
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お読みいただきありがとうございました。