カシン(50代)です。これは、アタシの思い付きを書くブログです。

学校の英語教育は、あまり成果があがってません。

アタシ自身は、米国で英語を覚えた経験と、日本の中学高校の英語教育の両方の経験があるので、その立場から、何がいけないんだろう?? と長らく考えています。

まずは「信心」だろう、とは前々から思っていました。つまり中高で英語を習って実用になると思っている人が、生徒にはそもそもいませんし、先生にも、もしかしたら、いない…。

それはともかく。娘が中高で英語を習ったのも見ていて、気がついたことがあります。

娘のころは、ちょうど「英語 4 技能」(読む、書く、聞く、話す) をバランス良く学ぶことが必要。と言われた時期で。つまり、今まで「読み書き」偏重だったから、「話す」ことができないんだ、みたいな。

そこです、そこに見落としがある!

アタシの見たところ、実は「読み書き」がセットで「聞く話す」がセットなんじゃないです。

どちらかというと、「読む聞く」がセットで、「書く話す」がセットです。

なぜか今の英語教育では、読める表現は書けなきゃいけない、ことになってる。だから、けっこう難しいことを勉強してる。

そうじゃないんだろう、というのがアタシの実感です。たいがいの人は、書ける漢字より、読める漢字の方が多いんじゃないかと思います。森鴎外とか芥川龍之介の作品は読めると思いますが、じゃあ誰でも小説家みたいな文章が書けますか。書く必要がありますか。

英語でも。実は、日常で表現する必要のあることは、たいがい中学英語くらいで書ける (話せる) んだろうと思います。高校の入試問題を見れば、難しいことも中学英語で十分書けることがわかります。むしろ日本人に必要なのは、中学英語で足らす技術。

一方で、読む (聞く) 方は中学英語じゃ足りません。英語の文章を書いてる連中がネイティブだからです。何十年も英語だけ使ってる人の書く英語が読めなくては、英語は実用になりません。

文法や単語をきっちり勉強するのは「書く、話す」に必要な範囲にとどめて、それを使って書きたいことを書く、言いたいことを言う練習をする。「通じる」範囲で、原則はしっかり。細かいことは気にしない。

一方で、読む、聞く方については。「正しく」書く、話すは英語話者側の責任で。日本人生徒は、正しいはずの文章を、誤解しないで受け取る練習だけすればいい。

「Were I a bird, aviation would be mine」って書ける必要はなくて、書くときは「If I was a bird, I can fly」、そのくらいの精度でいいんです。外国語なんだから

読む、聞く際に「aviation」てなんだっけ、とか「何かが mine になる」ってのは、自分がそういう性質や能力をもつことにも使うんだな。「Were I」は「~だったら」とか。こういうのは自分で使えるほどには知らなくていい。聞いたときに、前後の文脈も総合して、解釈できればいい。

日本語は普通に使えるけど、古文が得意じゃない人が古文を読むときのやり方です。文法はうろ覚えだけど、こんな感じの文章はこんな感じの意味だろう、くらいの理解。

  • 言いたいことを英語で言う (書く) 技術
  • 「正しい」英語を誤解なく読む (聞く) 技術
これを分けて教える方が実用に近い。そういうことなんじゃないかとアタシは思ってます。
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お読みいただきありがとうございました。