カシン(50代)です。これは、アタシが思っていることを書くブログです。
今週のブログはけっこう雑になってしまい。前回は特に雑でした。「モノとしてはみんなに必要ではいけれども、仕事として必要だから」という公共工事が計画されるとして。だったらもう、モノは作ったつもり、だけにしてお金だけ動かせば? みたいな話でした。
ちょっとだけ経済の教科書も読んでみたりはして、個々の要素はなるほどと思ったりしますが。「経済」はアタシにはやっぱりわからない。基本的なことから不勉強。
例えば東京オリンピックが当初の想定よりたくさんのお金がかかったとして。支払うお金は、必ず誰かが受けとるんだから、お金の総量は変わらない気もします。なのに、なんだか全員、損をして、誰も得をしていないような気になります。
人の手を経るうちに熱に変わってしまうんでしょうか。
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↑つまり、政治家の「政治資金パーティー」みたいなことです。集まってパーティーがしたい、と思っている人はいなくて、お金が欲しいだけで。なのに「パーティー代金なら ok」というルールになってる。それならお金だけにして、パーティーは省く方が無駄がないのでは。なぜ、ただお金が欲しい、じゃダメなのに、パーティー代なら ok、と世間は認めるのか。
あるいは、「水曜日はノー残業デー」だから、毎週水曜日は、通常業務 (残業) の他に「残業届け」も出してください。みたいな。毎週余分な書類を書かされるなら、ノー残業デーはいらないのでは (あるいは、水曜日は本当に残業なしにする)。みたいな話です。
無駄使いする余裕はないのに、余計に無駄にするなら ok、と言ってるように見えます。
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お読みいただきありがとうございました。