{言葉}{社会}{多様性}{ルッキズム}
カシンです。これは、アタシ(50代)が、前から思ってることを書くブログです。

ルッキズム、というのは人を見た目で判断すること、と解釈されて。それはどうなのよ?? という話になります。

アタシはそれはちょっと違うと思っていて。いち個人が、見た目も含めて、誰かを特別に想う、それは当然のことで。

むしろ、個人の好みを否定して、社会の価値観を押し付けるのが、悪いルッキズムと考えます。

個人的な関係では、好みは自由です。その自由を守るために、社会的な関係では人を見た目で差別しない。

個人それぞれの好みを許容するなら。集団で好みに統計的な偏りが生じるのは必然です。「みんな」が「平均的」に美人と思う人は確かにいる。いるけど、誰もがその価値観に縛られる、それではオカシイということです。
* * *

ここまでは前振りで。今回の本題はその「(平均的に) みんなが認める美人」に関係する話です。

命のない彫刻の外面的美しさとは別に、多くの人が魅力を感じる、生(せい)の雰囲気、とでもいうものがあるようです。

いきなり悪い例ですが、自信たっぷりの詐欺師は往々にして魅力的な人に見えてしまったりするものです。これは「無理に繕った」例です。

一方、何かその人の内面から溢れるような魅力を自然に持つ人がいます。自信とか余裕とか、満足感とか。本人の精神状態と関係があるように思います。

そんなようなことをアタシが強く感じたのが、2006 年のトリノオリンピックの、女子フィギュアスケートでした。

これは記憶で書いていて、当時の記録を確かめたわけではありませんが。競技前のメディアは、日本代表の荒川静香選手について (そして村主選手ともども。競技内容以前に、外見について) さんざんな評価で。ほぼ悪口としか言えない記事も散見されたと記憶しています。

それが、結果が出てみると。世間には期待されてなかった荒川静香選手が、会心の演技で金メダル。メディア得意の手のひら返しはいつものこととして。世間一般にもなんだかすぐに変化が出ました。

アレ? 荒川静香ってこんな人だったっけ。という空気が広がり。アタシの職場の、他人の容姿に妙にうるさい人も、「なんか荒川静香が美人に見えてきた」と告白しました。アタシも同感でした。

日本に帰ってきた荒川選手は、数日前の、悪口を言われてた人とは別人でした。それ以来、荒川静香さんは世間的には美人で通ってると思います。

たぶん、何かを成し遂げた人のオーラを身につけたものと思います。それはたぶん、荒川さんが何をしてきたのか、知らない人にも感じられたことと思います。
* * *

それ以来、アタシはこの種の、その人の履歴? 実績? から生じる美を、「イナバウアー効果」と呼んでます。なんか心理学用語っぽくないですか???
* * *

お読みいただきありがとうございました。