カシンです。これは、アタシ(50代・男)が、考えていることを書くブログです。
前回は、人と人が話し合うには、互いに意味が通じる共通の言葉を使う必要がある。でも、世の中には「自分の言葉」を使うことにこだわり。他人の言葉も自分が使う意味で解釈して文句を言う人がいる。そういうことについて書きました (そういう話を書いたつもりです)。
同じ字、同じ読みの言葉でも、いろいろな意味で使われます。互いに同じことについて話してるつもりでも、まったく違う話で、噛み合わないことがあります。
最近話題になった戸籍上の性別の変更について。
(例 1) 外見で「女」「男」を判定する人の言葉。
(例 1A)「女は男になれない」
- アナタは見るからに女性なんだから、女性だ。男性にはなれない (男性とは認められない)
(例 1B)「男は女になれない」
- アナタは見るからに男性なんだから、男性だ。女性にはなれない (女性とは認められない)
(例 2) 本人の認識で「女」「男」を判定する人の言葉。
(例 2A)「女は男になれない」
- 本来、女性なのに、ずっと男性扱いされて辛い。自分は男性にはなれない (女性と認めてほしい)
(例 2B)「男は女になれない」
- 本来、男性なのに、ずっと女性扱いされて辛い。自分は女性にはなれない (男性と認めてほしい)
ここでは例 1 と例 2 で「女」「男」の認識が逆になっていますが、それぞれの側の主張の中では一貫しています。どちらも女は男になれず、男は女になれないことを言っています。
しかし、例 1A と例 2B は対で、真逆の結論を述べています。1A で「男性になる」ことを否定された「女性」は、2B では実は「男性」で、「女性にはなれない」と訴えています。
例 1B と例 2A も対で、結論は真逆です。
つまり、合わせると、例 1 と例 2 は、字面は同じですが、言ってることは真逆です。しかも、それは「女」「男」が単に逆だからではありません。それぞれの例の中で男女を入れ換えても、それぞれの中では言ってることは変わりませんが、例 1 と例 2 ではやはり結論は真逆です。
「女」「男」の定義そのもの。誰が性別を決めるかの視点の違いです。
性別を決めるのは、本人の認識か、見た目か (全体か、局部か)、染色体か、書類上の記録か。
どの定義でも、どちらでもない、がありますが、今の話では都合上、省略しています。
性自認の立場からも、外見で性を決める立場からも、人生の途中で「女」が「男」に変化することはない、と思う人が多いです (ジェンダーフルイドを実感する人もいるようですが)。
どちらの立場でも「女は男になれない」。でも、立場によって言ってることは真逆。
一見、簡単そうな「女は男になれない」という文でも。「女」「男」といった言葉の解釈の違いで、上のように、対立する意味になります。
別々の立場で「女は男になれない」と言い合っても、話はまったく進まない、ということです。
そういう言葉の難しさを誰もが意識して、今、何の話をしているのかに、もっと注意を払って話し合えると、より建設的なんだろうとアタシは思います。
少なくとも、他人がいつでも自分の言葉を使ってくれる、そうでなければ話さない、聞かない、ではあまりにも視野が狭くなるということは、誰もが知っておく必要があるんじゃないかと思います。
「なれる、なれない」について、につづく。
* * *
お読みいただきありがとうございました。