カシンです。これは、アタシ (50代・男) が、気になったことを書くブログです。

前回、目的と手段が一致しなくなる話を始めました。抽象的な一般論になってしまいました。なかなかちょうどいい具体例が思いつきません。目的が忘れられたブラック校則とか (下着の色指定など) もそうです。

何か目的があって導入されたはずなのに、手段が独り歩きして、無駄になってる、むしろ悪影響を及ぼしてる、といったことです。

小さなことなら、例えばネクタイが必要とされる場面とか (なぜ?? 何のために??)。

怒りや嫌悪感を呼び起こす場面で、ちょっと立ち止まって考えた方がいいんじゃないかと思うことがあります。

最近、某有名女優がやらかした件で思い出したのが。

家族が辛いから、というのが、不倫がいけない理由だったはずです。

だいぶ前に別の有名女優がやらかした件で、その不倫批判の側によって、不倫相手の男がパンツを被った写真が拡散されたことがありました。

父がパンツを被った写真が出回れば、家族は辛いものと想像されます。
  • 家族が辛いから不倫はダメ
  • → 不倫したから家族を辛い目に会わす、辛い目に会っても仕方がない
と変化してしまったようにアタシには見えました。

これは極端な例ですが、同様な構造の事案があちこちにあります。
  • 将来のために勉強しなさい
  • → 勉強しないやつの将来は閉ざす
とか。自己成就予言的なものがあちこちにあって、目的は何だったのか、手段は目的に合ってるのか。考え直す必要のあることが、良く見るといろいろ見つかるようにアタシには思えます。
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お読みいただきありがとうございました。