憲法24条の成立過程、続き。
カシンです。これは、アタシ (50代・男) が、気がついたことを書くブログです。
婚姻について定めた憲法24条の成立過程を振り返っています。
前回は GHQ 原案まで見ました。
- 婚姻ハ男女両性ノ法律上及社会上ノ争フ可カラサル平等ノ上ニ存シ
- 両親ノ強要ノ代リニ相互同意ノ上ニ基礎ツケラレ且
- 男性支配ノ代リニ協力ニ依リ維持セラルヘシ
これが、松本烝治国務大臣のもと、佐藤達夫法制局第一部長、入江俊郎法制局次長が、日本の文書らしく体裁を整える、と 1946/3/2 案 37 条になります。ほぼ実際に成立した形。これを口語にしたのが憲法 24 条第1項です。このときの「男女相互ノ合意」が「両性の合意」になりました。
「婚姻ハ男女相互ノ合意ニ基キテノミ成立シ、且夫婦ガ同等ノ権利ヲ有スルコトヲ基本トシ相互ノ協力ニ依リ維持セラルベキモノトス。」
それにしても。(1)立法の原則 (2)結婚成立時点 (3)結婚生活維持、の3本立てだったのが、原則を省いた2本立てになり。夫婦の権利の同等は「基本」となり (例外もあるってことですよね??)。親の強要や男性支配を否定しないで「合意」と「協力」が求められるようになりました。
「親: お前らの結婚を許す」「子: はい、わかりました (合意)。」「夫: 男女平等だから。お前にいいように俺が決めるね。お前もちろん俺に協力してくれるよね??」
ま、これが現代日本の既定路線になりましたが。アタシには、GHQ 案にあった制度改革の全否定に見えます。
もちろん、当時の人に GHQ 案仮訳 (しかも句読点なし!) を見て、こんな大転換を望んでることを察しろ、というのが無理な話なんですが。
原案を見た佐藤さん入江さんは、何やら意味不明なことが書いてある、と、自分たちの常識で意味が通るように書き直しちゃったんでしょう。
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まとめると。
- GHQ案の時点では、同性婚はまったく念頭になかったけれども、当事者の「相互同意」を意図していて、男女間に限る明確な意図もなかった。
- 実際に成立した憲法の「両性の合意のみ」に実は意味はない(!)。親の指導で結婚に合意する、従来の結婚観を書いただけ。
というのが、アタシの解釈です。
ちなみに、憲法原案の責任者、松本大臣は 5/6 憲法改正案の枢密院審査委員会で
「第一項によつて両性の合意以外に婚姻の成立要件を加へることはできない。しかし…(中略)…例へば届出に際して親の同意書を附加させる。それがないときに一応照会する。しかしそれを拒むことも出来ると云ふ様な風にしたいと私個人としては思つてゐる。それは第一項に反するものではないと思ふ。」
と説明していて。どうしてもというなら「婚姻は両性の合意のみ」で可能だけれども、親の同意がなければ面倒なことにする、という手続き上での従来制度の維持を想定していたようです。これは本心なのか、枢密院を説得するための方便なのか。
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憲法制定後の民法改正には、もう少し時間と人手がかけられて。現代人に馴染みのある「結婚の自由」と「夫婦の平等」の方向に向かうことにはなりました (よかった)。
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お読みいただきありがとうございます。