カシンです。これは、アタシ (50代・男) が、気になったことを書くブログ、後編です。

「3.11 で気がついた」シリーズの記事を書いています。原発事故という非常事態では、人は正しい判断を求めるんじゃないかと、その時は思いました。という話の続きです。
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2007年の、あるある大事典騒動のときには、世の中の人が、思いの外、テレビの健康情報を真に受けていることに驚きました。

世の中の、「軽い」健康情報の多くは、科学的根拠があったとしても、ほとんどは「ある条件では、あるかないかで違いが出ることが確認できた」くらいのレベルです。

医薬品の承認とかの手間を考えてもらえば。本当に統計的に意味のある科学的根拠を出すのはものすごく大変なことです。

100人に飲ませたら4週間後に10%数値が改善しました、とかいう実験結果が、誰にでも実際に役に立つと解釈するのは、もはや、事実ではなく、願望でしかありません。

でも、そういう「望み」だって世の中には必要だから。「嘘」だとわかった上でみんな楽しんでるんだと思ってました。

ところが、どうやら世の中の人は、そういう願望を本当のことだと思っているらしい。深刻な事態のときの行動の判断の根拠にすべきことと、気休めにすることとの区別がついていないらしい。

そもそも、日本人は勉強ができていないんじゃないだろうか? 日本人の知識や判断はあてにならない…。
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それでも、それはきっと「深刻な事態」に直面してないからだ、と2007年の時点ではまだ思ってました。本当の危機が来れば、日本人は学んで、正しく判断できる。何しろ文字が読めるのだから。

それが、原発事故が起きたあとに「今度こそは」とアタシが思ったことです。

つづく
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お読みいただきありがとうございます。