教科書が読めない子供たち、じゃなくて、書けない大人たちじゃない?
カシンです。これは、アタシ(50代・男)が、適当なことを書くブログです。
前回まで、新井紀子さんが「日本人は日本語が読めなくなっている」といった注意喚起をするのに
使った「アミラーゼ問題」を取り上げ、どうしてアタシもそれが読めなかったのか、考えてきました。
これ、問題文が
- 同じグルコースからできていても、形が違うセルロース
じゃなくて
- 同じくグルコースからできていても、形が違うセルロース
だったら、結果はどうだったろう? と思ったりします。G22 で指摘したように「同じく」なら、デンプン ≠ セルロースを含意するからです。
もし仕事で書いている文章にこの問題文の内容を書くのなら、アタシなら
アミラーゼという酵素は、α-グルコースがつながってできたデンプンは分解するが、β-グルコースがつながってできたセルロースは分解できない。
と書くかもしれません。
実は「形」というのもかなり難しい概念。できればこの短い文では避けたいところです。例えば Wikipedia の「デンプン」の項
「分子構造」と題された節が、まるまるデンプンの形の説明です。
こういった複雑なもので「同じ形」「違う形」はどう考えればいいのでしょうか? アミラーゼはデンプンであれば、どんな形のデンプンだろうと分解できます。その意味では形は影響ありません。
しかし、デンプンとセルロースの形には、確かに決定的な違いがあります。その違いは構成するグルコースの形の違いによるものです。それを「同じグルコースからできていても、形が違う」とあえて言いたいかどうか。ま、だから「生化学」の試験問題ではなくて、「読解」の試験問題なんですが。
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ぐだぐだと負け惜しみのようなことを書いてきました。ここまで考えてのアタシの結論は。
日本人は日本語が読めなくなっているわけではなくて、読める日本語を書かなくなってる。AI みたいな読み方をする人間はおかしいかもしれないけれども。
そもそも AI でも読めるような日本語を書けば、誰でも読めるのではなかろうか。子供も大人も、あえて読みにくい文章を読解練習するのじゃなくて、「読める」文章を書く技術を習って、そちらを練習して、皆で使う方が早いのではないだろうか。
あわせて、何言ってるかわからないから頭良さそう、っていう誤解を追放したいです。
AI に読ます研究は、人にとって読みやすい文章を明らかにすることに使えばいいのではないだろうか。
といったようなことです。
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お読みいただきありがとうございました。