ゾウの時間、ネズミの時間。でもゾウにもせっかちなゾウも、のんびりなゾウもいるはずです。

これは、アタシ(50代・男)が、気になっていることを書くブログです。

前回は、入試と、人によって得意・不得意な科目があることについて書きました。一方で、「多様性」というくくりで、まだあまり取り上げられることが少ないのが、「時間感覚」の個人差だと思います。

短期的な差も長期的な差もあります。短期的な差には、脳内の差と、運動機能・感覚機能の差があります。

「長期的な差」とここで言っているのは、なぜ全員が「高校3年分の勉強」を「3年間」でする想定なのか? 2年が合う人、4年が合う人いろいろいるのでは? といった話です。今日のところはそれは省略。

運動機能、感覚機能の差については、すでに「合理的配慮」の一環として「多様性の尊重」に取り入れられて、実践も始まっています。つまり、感覚機能の差(良く見えないので読み取りに時間がかかるとか)、運動機能の差(手を動かしにくくて字を書くのに時間がかかるとか)といったことは、試験の際に合理的配慮(試験時間を延長するとか)が当然に求められる事項である、ということが普及しつつあります。

脳内の差でも、ASD とか ADHD のような、現状ではっきり診断名が付くような場合は「合理的配慮」がされることが増えてきています。

で、ここまで書いてきたのは前振りで。ここで話したい「短期的な時間感覚の多様性」の本題は。

誰しも、「あの時ああ思ったけど、後から良く考えたらこうだった」とか、「さっきは慌ててたからああ言ったけど、落ち着いて考えたらこうだった」といった経験があるはずです。「試験の時、普段通りの実力が出せるように落ち着きましょう」といった言い方もします。

この、「問題を聞いてから、落ち着いている自分が納得するような答えが出せる時間」が、人によってずいぶん違ってるんじゃないでしょうか。そして、今の社会では、その時間が短い人、頭の回転が速い人、が優秀とされています。

そして、入試など、人を選別する試験では。点差が生じるように、頭の回転が速い人でないと、時間が足りなくなって高得点が取れないようになっています(または、試験問題にだけは素早く対応できるように訓練する「検査不正」が横行してます)

これは、「正しい結論は導ける」けれども、瞬発力がいまいちな人を排除する、という直接的な問題もあります。

でも、より深刻なのは、正解がすぐにわからない場面でも、瞬発力のある人が優秀とされてしまってる点です。つまり、正しいかどうかに関係なく、すぐに「はい、論破!」ってしたり、考えなしの即断即決・気まぐれだけど、やたら自信たっぷりの人が人気のある世の中になってしまっています。

じっくり考えることを評価しない教育と、本当に頭が良くて瞬発力のある人の絶対数の、少子化による減少とが、今の日本の斜陽感と無関係とはアタシには思えません。

つづく
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お読みいただきありがとうございました。