丁寧な仕事がいいです。

これは、アタシ(50代・男)が、話す相手のない話を書くブログです。

ここしばらく、土曜日に「週のあとがき」を書いていました。やってみると。書き始めると、あとがきは際限なく長くなってしまいます。本文の数倍。これはいかん。あとがきはやめて、月曜日 F11 のあとがきとして書き始めた内容(の一部)を、今日の記事に仕立てます。
* * *

アタシ自身は、おおむね、努力反対派です。

成功体験の違いだと思います。アタシの経験では、一生懸命、根を詰めてやったことは、だいたいつまらない失敗をして無駄に終わります。逆に、力を抜いて、するっとやったことがうまくいったりします。

才能のある人が難しいことを解決するときも、さらっとやってるように見えます。

猛烈な努力で成功させる人がいることも、アタシは承知しています。でも、「本当はその人は、力を抜いてもうまくいくんじゃないだろうか」と、内心アタシは思っています。努力をしたからうまくいったんじゃなくて、努力をしたにもかかわらず、うまくいったんじゃ?

アタシが失敗したときに、人から「努力が足りないんじゃないの?」と暗に示唆されることがあります(若いころは、はっきりそう言われることもありましたが。50 のおじさんになると、さすがに直接言われることはなくなりました)。だいたいそういうときは、自分では一生懸命やったときです。内心、もう少し余裕があれば、失敗しなかったかもしれない。と思ってるときです。

アタシは丁寧な仕事は心がけています。相手のある仕事なら、相手が満足するような仕事を心がけます。「力を抜く」「努力はしない」は、いい加減に、でたらめな仕事をする、っていう意味ではありません。

むしろ、仕事が雑になるような「根を詰めて一生懸命やる」が、「努力」と呼ばれてるように感じています。アタシが「努力」でイメージするのは、「寝ずにがんばる」とか「ぐだぐだ言ってないでとりあえずやってみろ」みたいなのです。

それもあって、アタシはパワハラ、モラハラ文化が嫌いです。一か八かやってみたら危機に陥ったけど、根性でなんとか乗り越えた、みたいな「プロジェクトX」も苦手です。

理想は「すべて計画通りうまくいきました」。そして、計画通りにいかなかったときは、次はうまくいくように計画したいと思ってます。納期は努力目標じゃなくて、それで実現可能な分量が決まるものです。
* * *

お読みいただきありがとうございました。