「キャピタルアーミーが捕らえたパイロットがラライア・マンディで、彼女が搭乗していた機体をアイーダ・レイハントンと名乗るパイロットが使っていたのか。その機体を宇宙海賊はGセルフというが、デレンセン大尉はそれをみんな、でまかせだと言ったのだな。」(第2話冒頭)

これは、アタシ(50代・男)が、突然アニメについて熱く語るブログです。次回はちゃんと「シンクロニシティ」の話に戻ります…。

2014年のアニメ「ガンダム Gのレコンギスタ」。好きな人は好きなはずです。が、放送開始当時、評判は今ひとつ、のようでした。

「意味がわからない」というのです。

いや、確かに意味はわかりません。遠い未来世界を舞台に、たくさんいる登場人物(エンディングでラインダンスを踊ってます)が、それぞれの主観で固有名詞や専門用語だらけのセリフをべらべらしゃべります。ナレーションなどでの説明は一切ありません。状況はどんどん展開していきますが、ストーリーらしいストーリーはありません。
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実はこれはジグソーパズルなんですね。登場人物たちのセリフや行動にはそれぞれ少しずつ接点があって。そういうヒントから個々のピースをはめていくと、そのうち全体像が見えてくる。最終的に1枚の世界観を描く手法です。ストーリーを語っているのではないのです。

おお、なんか輪郭が見えてきた。だんだん何の絵か見えてきたぞ。と思うと、急に全然違ったピースが出てきて。今まで全体像と思っていたのが、もっとずっと大きな絵の一部だった…。そういう楽しみ方をする作品でした。

「月を指差す」場面も、そんなひとつです。地上から静止衛星軌道までを舞台としていたのが、月の向こうの世界を見に行こう、となったシーンです。

このジグソーパズル方式、「赤白つるばみ」もそうですが、「少女漫画」ジャンルでは割と見かける方式のように思われます。
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さて。「ガンダム Gのレコンギスタ」にこんな話が出てきます。

現代より遥かに進んだ科学技術が普通の世界に、現代人の基準からすると、かなりしっかりした若者たちが登場します。高度な科学技術を使いこなした上で、新しい知識を身につけるのも得意な、合理的な判断のできる若者たちです。

ところが、そんな彼らは、彼らの宗教の敬虔な信者で、聖地や「法皇」を敬い、大切にする様子が描写されます。そして彼らの宗教には、「与えられている以上の科学技術は禁忌」というタブーがあり、彼らはそれを真剣に守ります。

この「宗教による縛り」が、決して無知から来るものではないんです。タブーには触れないようにしていますが、触れる能力がないわけではありません。宗教上のタブーが、本当は「神から与えられた」ものではないことも知っています。

むしろ、知った上で、かつて科学技術文明の暴走で人類が滅亡しかけた。その回復期にある彼らは、科学技術利用に制限が必要であることを良く知っていて、あえてそれを宗教的タブーの形で実践しているのです。

皆が合理的な考えを身につければ、宗教なしでも、うまく抑制が効くのかもしれません。でも彼らは、人間の性質がそうはなっていないことを知っているんだろうと思います。人は合理的な行動を取り続けることはできない。科学のみに心底納得することはできないのです。

…この、「科学だけ、合理的だけでは人の性質上、無理」ということをアタシも前々から漠然と感じていたので。アニメとして表現されたのを見て、改めてそういうことなんだと自分の中でも整理がついた次第です。

心を納得させる「信じる」に必要なことは、科学的に証明された真実ではない。でも、そのことと、合理的な行動とは両立するのです。

つづく
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お読みいただきありがとうございます。