8月16日AⅯ10時から立川勇次郎氏(大師電気鉄道(現京浜急行電鉄)、養老鉄道、揖斐川電力(現イビデン)創設者)の顕彰祭が、養老駅前の顕彰碑の前で行われ、  
 午後、顕彰祭に出席された京浜急行養老鉄道の社長が立川勇次郎氏の墓参りをされるとのことで、立川元彦さんと清水武さん他有志の方と同行させていただきました。


 立川勇次郎氏の墓のある大垣市赤坂の安楽寺(写真は本堂)
イメージ 4

イメージ 6


  立川勇次郎氏の墓の前で安楽寺住職の話を二人の社長と一緒に聞きました。
イメージ 1


イメージ 2

 住職から立川勇次郎氏の法名の話などを聞かせていただきました。イメージ 3
  
法名:浄光院殿明誉世鑑電勇大居士
イメージ 5


 その後、本堂でお参りと焼香までさせていただき、お寺の歴史や、立川家や徳川家との関り、壬申の乱や関ヶ原の戦いなど安楽寺に関わる話が応接室に移ってからも続きました。


 特に応接室に飾ってある三つ葉葵の紋のある駕籠にまつわる話など興味深い話が聞けて良かったです。
 二人の社長と一緒だったこともあり、お茶などの丁重なもてなしに恐縮いたしました。


    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「メモ」
安楽寺
 大垣市赤坂町勝山(関ヶ原合戦前までは岡山)の山腹にある西美濃三十三霊場二十一番札所「紫雲山安楽寺」は、推古天皇元年(593)、聖徳太子の創建。
 壬申の乱で、大海人皇子が勝利祈願を住職に命じ、戦勝後天武天皇が、大友皇子の冥福を祈り宝物を寄進されたという古刹。
 この寺の梵鐘は、関ケ原合戦の時、西軍の大谷吉継が軍営で使用したものです。
 慶長五年9月14日の正午頃、徳川家康率いる約3万の軍勢が美濃赤坂(現在の岐阜県赤坂町)に到着しましたが、その時、家康が本陣を置いた場所が安楽寺の寺領の岡山です。あくる日の関ヶ原の戦いで勝利した家康が岡山から勝山に名称を変更しました。


立川勇次郎の略歴(1862~1925)
 
1862 文久2 大垣藩士、清水垣右衛門の二男として誕生
1881 明治14 大垣藩士、立川清助の養子となる
1895 明治28 養老鉄道敷設願書を提出
1898 明治31 東京白熱電灯製造㈱取締役に就任(後の東京芝浦電気
1899 明治32 大師鉄道㈱専務取締役に就任(後の川崎電気鉄道―京浜電気鉄道
1903 明治36 東京市街鉄道会社常務取締役に就任
1907 明治40 東京大阪間高速電気鉄道敷設願書を提出(私鉄版東海道新幹線
1911 明治44 養老鉄道㈱を設立し社長に就任(資本金:150万円)
1911 大正元 揖斐川電力㈱を設立(資本金:100万円)(後のイビデン
1916 大正5 西横山発電所(出力:3,900kW)完成
1917 大正6 揖斐川電化工業㈱を設立し社長に就任(資本金:300万円)

1918 大正7 揖斐川電化工業・東海電化工業、日本電気製鉄所の3社を合併
1922 大正11 揖斐川電気㈱は養老鉄道㈱を合併
1923 大正12 養老鉄道全線電化工事を完工
 



»¢ùÊ⡦»¢ùºö\֥���\é\󥭥󥰻²²ÃÍѥê\󥯰ìÍ¡à

岐阜県情報ブログランキング参加用リンク一覧

Îò»˥֥�\֥�\é\󥭥󥰻²²ÃÍѥê\󥯰ìÍ¡à
 
にほんブログ村ブログランキング参加用リンク一覧