もうがっつり梅雨ですやん…
初夏とは思えないぐらいの猛暑でノースリーブをおろしたのに、
今日は雨で気温19℃って…
寒暖差で風邪ひくやろ。
ギャグじゃなくて。
就職先も決まって初出勤まであと半月ほどはゆっくりできる私、
日曜は京都国立近代美術館へ行ってきました~
日程:2024年6月16日
場所:京都国立近代美術館
展示:印刷/版画/グラフィックデザインの断層 1957-1979
京都国立近代美術館の令和6年度第2回目のコレクションギャラリーの本企画。
以前、大阪中之島美術館で『デザインに恋したアート♡アートに嫉妬したデザイン』という企画展で
グラフィックデザインについての理解を深められたと勝手に思って今回の展示にも興味。
絵画だけでなく、雑誌やポスターアート、グラフィック、福田平八郎の版画作品、ガラス作品からソファまで!
多様な京都国立近代美術館の所蔵品が見れて勉強になりました。
タイトルにもある1957年~1979年の日本は、
高度経済成長の始まり、女性の社会進出、多様文化の流入、東京オリンピックの開催、オイルショックでの経済危機、
そして技術革新…
急速に、そして激しく時代が変わっていった20年と言っていいでしょう。
そんな激動の中で生まれたメッセージ性の強いグラフィックデザインの数々を見ることができる展示でした。
では撮影OKだった作品を順にどうぞ。
第一次世界大戦の最中にヨーロッパ・アメリカで勃発した芸術思想運動『ダダ(DADA)』。
既成の概念や秩序を否定し、ナンセンスを謳う挑発的な思想を伝えるメディアとして
雑誌やチラシなどの印刷物がその役割を担いました。
「サディスティッシュな空間」(村山知義)
正直これの良さが分からない…(出鼻くじかれる)
「芥子」(福田平八郎)
福田平八郎の作品が並ぶ中、この紅くて平たい一輪がなんだか異様に目についた気がする。
こちらも福田平八郎の作品
こちらも福田平八郎の作品
こんなに多くの色を使ってカラフルなのに五月蠅くない仕上がりなの何故?
「大勝利」(福田平八郎)
ニッポンの国旗と勝利の旗。ジブリの『コクリコ坂から』を少し連想するけど
シンプルに時代の思想の片鱗を残した作品だと思う。
こちらも福田平八郎の作品。
対になっている梅(?)が素敵。
ここから次章【「ポストモダンの地平」を振り返る】より。
ポストモダニズムの解説等があったのですが、それの詳細は
是非実際に京都国立近代美術館へ来てご自身で読んでほしい。
私が解説文の一部でいやなるほどと感心しました。
『…建築、デザインにおけるポストモダンの動向は、結局
”人は他の人と異なり、事物は個人差に適合する”という平凡な事実の確認に終るかもしれない。
しかし、これは偉大な平凡さなのである。この単純な事実の確認に20世紀は約80年の時間を費やしたのだから。…』
個人的な解釈で恐縮ですが…、
人でも事でも物でも、”個”が存在し、それぞれすべてが異なり、差があるということ。
それが単純で当たり前のことであり、主語を大きく捉えるべきではない、ということかな?と思いました。
ここからの3つの作品は特にお気に入り。というか不思議に思った作品。
「責め場1,2,3」(横尾忠則)
日本の浮世絵でもある春画のグラフィックアート。
うん。一発で分かった。横尾忠則さんの作品て一発で分かった。
「関係―質」(河口龍夫)
これが一番惹かれたけど、一番よくわからない作品だったなぁ…。
でもなーんか見入っちゃう作品だったんですよねぇ…。
左「英語の単語」/右「日本語の文字」 (高松次郎)
これ面白い…し、たぶん何かで見たことあるような…結構有名な作品ですよね??
高松次郎さんは反芸術運動に関わったのち、「視る」ことの不確実性にまつわることを作品を通して問題提起しています。
その考えってすごく面白くて、たしかに!って思う。
脳科学的には視界から得る情報って約70%だったはず。
意外にも100%ではないし、それが正確かどうかなんて実は確かめられない。
結構わかってるような概念なのに、おざなりにしてしまいそうな概念だなって思ってハッとさせられました。
今回の展示、時間的には1時間半ほど観ていたのですが、その中で2周しちゃいまいた。(笑)
あと、特別冊子も無料で持ち帰れたのが嬉しい。
全てではないですが、一部作品や作家の解説が掲載されているのでぜひ手に取ってみてほしいです。
この日は最高気温29℃(いや30℃?)だったためか、
帰宅してぐったりして夏バテ??昨日もちょっと体調崩しちゃいました…
(ブログ更新が遅れたのはそれが原因、という言い訳です)
みなさんも寒暖差にはお気をつけて。
頑張って梅雨を乗り越えましょ~
今年もあと半分ですよ~
ではまた。