舛添要一都知事がついに辞職する方向となった。あれだけ都民に嫌われたのなら仕方ない。彼を辞職に追い込んだのは、見たものすべてを不快にさせた記者会見。「首相にしたい男ナンバーワン」だった政治家が、ここまで嫌われた理由を紐解く。
舛添氏を初めて知ったのは、中学生だったころにテレビで放送されていた深夜番組。国際政治学者という固い肩書と、柔らかい語り口や照れ笑いがなんともアンバランスでおかしかった。同じ「よういち」という名前もあり、それ以来ずっと親しみを感じていた。
満を持して政治家デビューを果たしたのは2001年の参院選。全国比例で160万票というとてつもない票数を集め、自民党の参院議員となった。ちなみにこの時の得票数は公明党の代表などを務めた浜四津敏子氏(2004年)に次ぎ、過去2番目の多さである。
当選後はトントン拍子で出世。私が政治部記者に配属された2007年には2期目の当選直後だったにもかかわらず、厚生労働相に就任していた。当時、「総理大臣にしたい政治家」というアンケートでは常にトップに名前が挙げられていた。
それから9年。舛添氏は世間の批判の真っただ中にいる。産経新聞社とFNNが5月末に行った世論調査では、舛添氏の説明に「納得しない」と答えた人が97・0%。都知事を「辞めるべきだ」との答えが79・2%にのぼった。その後、何度も記者会見を開いているが、批判は収まるどころか火に油を注いでいる状態だ。
舛添氏の記者会見が見る者を不快にさせるのは、圧迫面接ならぬ「圧迫会見」だからだ。冒頭で社名と記者名を名乗るよう要請し、名乗らない記者がいるとわざわざ名前を言わせる。これは「俺を陥れるような質問したら出入り禁止だぞ」という脅し文句である。
通常、記者会見にはいわゆる記者クラブである「都庁クラブ」所属の記者しか入れない。彼らは知事から情報をもらうために、基本的に知事に取り入ろうとする。知事から「もう何も教えないぞ」と言われれば、つい追及が甘くなってしまうものだ。
舛添氏は記者が言い淀んだり、意味の通らない質問をしたりすると厳しい表情で「どういう意味ですか」と聞き返す。これも「あなたの質問は何を聞きたいのかわからない。つまらない質問をするんじゃない」という、記者への脅し文句だ。普通の記者会見であれば、こう聞き返された記者は縮こまってしまい、二の句が継げなくなる。
舛添氏は記者を圧迫しているつもりなのだろうが、その圧力はテレビを通じて一般の市民にも伝わっている。だから見ていて腹が立つ。言い訳にも耳を貸す気がしなくなる。やっていることが悪かろうと、良かろうと、こんな奴、辞めてしまえと思ってしまう。
対照的だったのが三遊亭円楽師匠の不倫謝罪会見だ。集まった記者に「こんなことで集まっていただき申し訳ない」と気遣い、「落語界の片隅に置いておいてほしい」と涙ながらに訴えた。記者は円楽のペースに引き込まれ、途中から笑顔の絶えない会見となった。
やっていることは明らかに悪い。しかし、疑惑の真相が明かされない舛添氏が会見であれだけ嫌われたのに、円楽は嫌われるどころかファンを増やしたほどである。記者への接し方、頭の下げ方、言葉の選び方がいかに重要か、良く分かる。
よほど反省したのか、誰かに怒られたのか、2回目の会見では少し改善したように感じたが、3回目以降は元の「圧迫会見」に戻ってしまった。よっぽどこらえ性がないのだろう。そしてこれっぽっちも悪いと思っていないのだろう。
舛添氏はリオ五輪までの猶予を求めたようだが、そんなことも言っていられない。都民の支持を失った知事は今すぐ辞任し、東京五輪と知事選の時期が重なる問題については後任者が考えるべきことである。残された時間は少ない。