「右か、左か」で終わった民主党代表選 | 山本洋一ブログ とことん正論

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元日経新聞記者が政治、経済問題の裏側を解説!

 民主党は18日に代表選を行い、新代表に岡田克也元外相を選出しました。岡田氏は代表選後の記者会見で「中道路線」への回帰を宣言。当初は野党再編が争点になるとされていましたが、結局はいつも通りの右か左か、つまり保守かリベラルかが争われる選挙となりました。


 一回目の投票では細野豪志元幹事長が298ポイント、岡田氏が294ポイント、長妻昭元厚生労働相が168ポイントを獲得し、僅差で細野氏が首位。いずれの候補も過半数に満たなかったため決選投票が行われ、岡田氏が133票を得て、120票の細野氏を下しました。


 結果的には事前の予想通りでしたが、意外に僅差だったなと言うのが私の印象です。細野氏と岡田氏の票の一回目投票の内訳をみると、地方票が細野氏202ポイント、岡田氏は199ポイント。国会議員及び公認内定者票も細野氏96票、岡田氏95票でほぼ並びました。細野氏の若さや清新さと、岡田氏の安定感の間で民主党内が割れた、ということでしょう。


 岡田氏は「いい戦いだった」と振り返りましたが、実に内向きな選挙でした。野党再編の必要性を訴えてきた細野氏は、支持を広げるため早々に持論を封印。討論会ではそのことを巡って岡田、細野両氏が暴露合戦、非難合戦を繰り広げる一幕もありました。


 終盤戦では決選投票をにらみ、岡田、細野両氏は長妻氏の支持基盤に働きかけました。産経新聞によると、岡田氏は代表選前夜に長妻氏を支持する赤松広隆前衆院副議長と会って支持を要請。赤松氏は「オレの処遇はいいから若いヤツを頼む」と話し、支持の見返りとして自らのグループの若手を人事で処遇するよう求めたといいます。


 岡田氏は明確な回答を避けたとしていますが、選挙前にこうしたやり取りがあれば、処遇せざるを得ないのが永田町の常識。「派閥政治」を否定する岡田氏らしからぬ行動だと感じます。一方で、長妻氏の陣営で、細野氏から働きかけられていた大畠章宏氏は決選投票直前に細野氏支持を決め、自らのグループメンバーにメールで細野氏に投票するよう指示したそうです。


 かつて同じ民主党代表選で「壇上でジャケットを脱いだら○○氏支持」などということもありましたが、民主党議員がゲーム感覚で代表選と向き合っていることがわかります。世の中の関心が低下し、党員・サポーター票の投票率が50%を下回ったというのも無理はありません。


 さらに、代表選の様子を紹介する新聞を読んでいて、最も気になったのは岡田氏が記者会見で語った次の言葉でした。「自民党はずいぶん右にシフトしていて、ど真ん中が空いている。民主党はそこも含め、しっかりと対応できる政策が必要だ」。つまり自民党は「右」だから、自分たちはもっと左、中道を目指そうということです。いつまでそんな戦後価値観を引きずっているのでしょうか。


 戦後の国際政治は資本主義と社会主義の対立が大きなテーマでした。日本では右派と左派に分かれていた社会党の統一に危機感を感じ、保守系政党である自由党と民主党が合併してできたのが自由民主党(自民党)です。そこから始まった55年体制は政権交代を前提としないなかで、右の自民党と左の社会党の争い、さらに自民党内のタカ派とハト派の争いが繰り広げられました。


 しかし、冷戦が終わり、資本主義と社会主義の対立には終止符が打たれ、日本政治の最大の課題は低迷する日本経済をどう立て直すかという点に移りました。借金まみれの財政をどう健全化するか、崩壊寸前の社会保障をどう立て直すか、少子高齢化にどう向き合うかーー。


 そのために統治機構はどうあるべきか。55年体制で培われた中央集権体制を維持していくのか、道州制を視野に地方に権限と財源を移していくのか。民間にできることは民間に任せるのか、それともこれまで通り官が担うのか。そうした論点は必ずしも右か、左かで色分けすることはできません。


 集団的自衛権の行使を巡る問題も右か左かで単純にくくれる問題ではありませんが、マスコミも「積極的」と「慎重」の一軸で分析しているのが現実です。右か、左かにこだわっていればいつまでたっても日本政治は変わらず、アジアの中で埋没していきかねません。


 自民党に対抗する野党勢力の結集も夢の又夢です。