1700年代中期に描かれた「琉球国惣絵図(間切集成図)」。
現在の地名とリンクさせると色々なことがわかるので面白い。
もちろん、1609年の島津侵攻後の地図なので後期琉球国であり、島津干渉琉球国である。
そんな時代にも関わらず、現在の糸満市の名城と真栄里の間に「崎中城村」が存在していることがわかる。
現在、「中城」といえば、沖縄本島中部の東にある「中城村」「北中城村」となる。
もし、この「崎中城」が元祖中城だったとしたら、沖縄史は大きく変わってしまう。
「崎中城」=「先中城」
先中城と言えば、沖縄史に詳しい者であれば、先中城按司を思い出すだろう。
盛春護佐丸が中城にやってきた際、そこにいた先中城按司は、まさにこの崎中城へやってきたと言われる。
しかし、この崎中城が中城発祥だとすれば、逆になってしまうのだ。
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