3年ほどの沖縄史研究の結果、阿麻和利が存在しない可能性が出てきました。

 

これは、尚巴志のようなポンコツとは違いショックなことです。

 

勝連城が歴代継承されてきており、望月按司の阿麻和利の倒し方が極めて中華歴史であることが大きな理由です。

 

さらに、明治政府作成の可能性が高い「おもろそうし」で讃え過ぎであること。

 

源氏政権である鎌倉を讃えることも異様と言える。

 

そして、最大の問題が阿麻和利の最期。

 

勝連城のある与勝半島から残波岬方面へ逃げたとされ、読谷村に阿麻和利の墓があること。