最近の事だが、知り合いに不幸があった。
あまり付き合いはなかったが、同世代という事で明日は我が身と興味を持った。
まだ亡くなるには若いので、コロナかと思ったら末期のガンだったそうだ。
本人が隠していたのかは知らないが、あまり周囲に知られてはいないようだった。
入院してから数日で亡くなったし、 家族と離れていた事もあって、 その事を詳しく知る人もおらずのようだ。
もちろん、付き合いの薄い俺が知らないだけで、気にかけていた人は多かったのかもしれない。
それでも、まわりの反応も薄くて、今更ながらどんな人だったのか考えた。
結局、大した接点もなく、特に良い思い出もない。
もしかしたら、世間と距離を取っていたのかもしれないと片づけた。
しかし、我が身の事として振り返ると、俺が平均寿命まで長生きをしたとしても仕事は退職済みだろう。
家族も離散して新しい人生を歩んでいるし、他の親類縁者も少なくなっていると思われる。
なんとなく、俺自身も存在が霞んで、挙句に世の中から消えてしまうのかもしれない。
そんな風に思うと、悪くいえば、後腐れが少ない逝き方に故人のポリシーのようなものがあったのかもしれない。
同時に一抹の寂しさの様なものを感じるが、これは故人に向けてと言うより、未来の自分に向けてだろう。
気がつけば、こんな事を意識する年齢になったのだと驚く。